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ミニシアター通信平家物語 > (101)後白河法皇の鳥羽殿への遠流

(101)後白河法皇の鳥羽殿への遠流

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 治承3年(1179年)11月20日、後白河法皇の御所・法住寺殿の四面を、軍兵が囲みました。平治の乱の際に信頼卿が三条烏丸の三条殿を襲ったように、御所に火をかけて人々を皆焼き殺すとうわさされ、局の女房や、使用人の女童に至るまで、頭に物をかぶらないで、われ先にと逃げ出しました。

 その折、先の右大将・平宗盛が車を寄せて、「早く、早く」と告げました。

 後白河法皇は驚き、「藤原成親や俊寛らがされたように、遠い国や遙か彼方にある島へ流そうというのか。朕に格別のとががあるとは思わない。高倉天皇が若いので、政務へ口添えをするだけだ。それもだめだというのなら、今後は、黙っていよう」と答えました。

 宗盛は涙をはらはらと流し、「どうしてこのようなときに、そのようなことを言うのですか。しばらくの間、世を静めるため、鳥羽の北殿へ御幸されたいと、父・清盛が言っています」と言いました。しかし、宗盛は、清盛の機嫌を恐れて、後白河法皇の供はしませんでした。

 後白河法皇は、「宗盛の有様は、兄・重盛からははるかに劣ったものよ。先年も、同じような憂き目に遭いそうになったが、その時は、重盛が身に代えて清盛を制止し、朕が留まることができ、今日まで心やすくいられた。このようなことになるとは、今は誰も清盛をいさめる者がいないようだ。これからどうなるのかさえ、頼りない」と言い、涙を浮かべました。

 後白河法皇は、そうして車に乗せられました。公卿殿上人は誰も供をしません。北面の武士の下級者と、金行という力者法師だけが供をして、車には、尼御前一人が同乗しました。

 この尼御前という人は、すなわち、後白河法皇の乳母の紀伊の二位のことです。

 後白河法皇を乗せた車は、七条通りを西へ、朱雀大路を南へと進みました。身分の低い男女でさえ、「あれ、後白河法皇が流されるぞ」と皆で涙を流し、袖を濡らしました。誰かが、「先の7日の夜の大地震も、このようなことの前兆で、世界の底まで揺れて、堅牢地神も驚いたわけだ」と言ったといいます。

(2011年11月9日)


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