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ミニシアター通信平家物語 > (103)高倉天皇の嘆き

(103)高倉天皇の嘆き

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 孝経に『百行の中には、孝行を以て先とす。明王は孝を以て天下を治む』といいます。なので、唐堯(とうぎょう)は老いたる母を尊び、虞舜はかたくなな父を敬ったと故事にもあります。そういった賢王、聖王の先例をなぞった高倉天皇の心こそ、尊いものです。

 そのころ、内裏から鳥羽殿へ高倉天皇が密かに文を届けました。文には「このような世では、宮中にいてもやることもありません。寛平の法皇や、花山天皇の故事をひも解いて、皇位を退き、山林流浪の業者にでもなろうと思います」とありました。

 後白河法皇は、「そう思わないでください。高倉天皇がそのようにいるからこそ、一つの頼みになっています。高倉天皇が皇位を退かれたら何を頼みとすればよいのでしょう。ただ、ともかくも、愚かな老人の老い先を見届けてください」と返事を出しました。

 高倉天皇はこの返事を顔に押し当てて、涙をあふれさせました。

 『君は船、臣は水、水はよく船を浮かべ、水はまた船を覆す』といわれるように、臣下は君を保ち、また、覆します。保元・平治のころは、平清盛は君を支えたといえますが、安元・治承の今は、また、君をないがしろにしています。史書にあるとおりです。

 大宮の大相国・藤原伊通、三条内大臣・藤原公教、葉室大納言・藤原光頼、中山中納言・藤原顕時も、今はもう亡くなってしまいました。今の古参の人としては、民部卿九条顕頼の子・成頼、右大臣平範家の子の親範ばかりですが、この2人も、このような世では、朝家に仕えて、大納言、中納言をへても何になろうと、まだ盛んな年なのに、出家、遁世してしまいました。親範は、洛北の大原の霜に伴い、成頼は高野山の霧に交じって、ひたすら、後世の菩提を弔うほかは、何もしていないといいます。

 昔も、「商山の四晧(しこう)」と呼ばれる、中国・秦の末に戦乱を避けて隠れ住んだ4人の老賢人がいて、「商山の雲に隠れ」といわれ、また、えん川(えんせん)の月に心をすます人もいましたが、そのような人々は、博覧で、清潔なので、世を逃れたのではなかったのでしょうか。

 この度、隠れ住んだ人たちの中でも、高野山にいる宰相入道・成頼は、「ああ、心が急いて世を逃れたものだなあ。出家した身で耳にしたとて同じことだが、都にいて直接、この様子を見聞きしたら、どれほど、心憂いものだろう。保元の乱、平治の乱は、まさに不吉だと思っていたが、世も末になれば、このような奇怪なことも起きるのだろうか。この後、天下にどのようなことが起こるのだろう。雲をかき分けたとしても山をさらに登り、山を越えてでもさらに奥へ入ろう」と言いました。まことに心ある人たちが住むような世界には思えません。

(2011年11月10日)


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