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(102)後白河法皇と静憲法印

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 さて、後白河法皇が鳥羽殿に流されて後、御前には誰一人いない状態でした。ただ、後白河法皇は、どのようにして紛れ込んだのか、大膳大夫・平信成を呼んで、「朕の命が尽きるのもそう遠くはないと思う。行水をしたいと思うが、できるか」と言いました。

 後白河法皇がそのようなことを言わなくてすら、今朝から平信成は肝も魂もつぶして動転していたのに、後白河法皇のその言葉を承るかたじけなさに、狩衣にたすきを掛けて、釜に水をくみ入れ、小さな柴木で作った垣を壊したり、大縁の支柱を割ったりなどして、なんとか湯を沸かしました。

 また、静憲法印は、平清盛の西八条の屋敷に出向きました。清盛に「昨夜、後白河法皇が鳥羽殿に御幸になりましたが、御前に一人も伺候していないと聞きました。あまりにむごいことだと思えます。どうか、静憲一人だけはお許しになり、後白河法皇の元へ行かせて下さい」と談判しました。

 清盛はどのように思ったからでしょうか、「あなたは、まったく事を誤ることがない人だ。早く、早く」と言って許しました。

 静憲法印はいたくよろこび、急ぎ鳥羽殿へ向かいました。門前で車から降り、門の中に入りました。折も節、お経をうち唱える後白河法皇の、ことに悲痛に満ちた声が聞こえました。

 静憲法印が突然に現れると、後白河法皇の経が涙にはらはらと濡れました。その様子を見た静憲は、あまりの悲しさに、身分の高い僧が身につける衣の袖に顔を押し当てて泣きながら、御前に参上しました。

 御前には、尼御前ただ一人がいました。尼御前は、「やや法印殿、後白河法皇は昨日の朝、法住寺殿で食事を取ってからは、昨夜も、今朝も、何も食べていません。長夜の間ずっと寝ていません。お命もすでに危うく見えます」と言いました。

 静憲は涙を抑えて言いました。「何事にも限りがあります。平家が世を取って20余年。しかし、悪行が過ぎて、もはや滅びようとしています。なので、天照大神も、正八幡宮も、後白河法皇をどうしてお見捨てになるでしょうか。中でも、後白河法皇が厚く信仰する比叡山延暦寺の守護神・日吉山王七社の、法華経の道を守護する「一乗守護」の誓いが変わらぬ限り、法華経八巻の誦経に神が現れ、後白河法皇をお守りするでしょう。そうすれば、天下の政治は後白河法皇の御代となり、凶徒は水の泡と消え失せます」

 後白河法皇もこの言葉に、しばし、心をなごませました。

 高倉天皇は、関白・藤原基房が流され、臣下の多くが没落しただけでも嘆いていましたが、今また、後白河法皇が鳥羽殿へ配流されたことを聞き知り、少しも食事をせず、病気と称して床にずっと着いていました。后をはじめ御前に仕える女房たちは、どうすればよいのだろうと思っていました。

 後白河法皇が鳥羽殿へ流されてから、内裏では、臨時の神事として、清涼殿に築いた御神拝の壇「石灰」で、高倉天皇が毎夜、伊勢大神宮に拝みました。

 二条院はまれに見る賢王でしたが、天子に父母無しと、ふだんは法皇の言うことに耳を傾けませんでした。それなので、帝位を譲り受けた六条院も、安元2年(1176年)7月14日、13歳で、ついに亡くなりました。何とも言いようのないことでした。

(2011年11月9日)

(103)高倉天皇の嘆き

(104)鳥羽殿の後白河法皇

(105)「巻の三」のあらすじ


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