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(99)遠成、家成の最期

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 先の関白松殿・藤原基房の侍に江大夫判官・遠成(とおなり)という者がいました。平家にとってよからぬ人物とうわさされ、六波羅に絡め捕られるといわれていました。そのため、遠成は、子の江左衛門尉・家成を連れて、南へ落ち延びました。

 しかし、遠成と家成は、稲荷神社のある山に登り、馬から下りて、2人で、「これから東国に落ち延び、流人で、先の右兵衛佐・源頼朝の元に身を寄せようと思ったが、頼朝も今は勅勘の身で、自分の身一つでさえ思うようにならないでいる。およそ、日本国に平家の荘園でない場所があるだろうか。とても、逃れることはできない。しかしさりとて、長年住み慣れた場所で、縄目に取られるのを見られるのも恥。かくなるうえは、今からとって返し、六波羅からの使いがあれば、館に火を放ち、腹をかっさばいて死ぬべし」と言い合い、蓮華王院の南、瓦町の河原坂の屋敷へとって返しました。

 案の定、大夫判官・源季貞と、摂津判官盛澄が、甲冑に身を固めた300余りの騎馬を引き連れて、河原坂の屋敷へ押し寄せ、どっと、ときの声をあげました。

 遠成は、縁に立ち出でて、大音声をあげました。「いかに、各々方、六波羅に帰って、この様を申し伝えよ」。そして、館に火をかけて、父子共に腹をかっさばいて、炎の中で死にました。

 どうしてこのように人々が亡び傷ついていったのかという理由は、先の関白の大殿・藤原基房の子で三位中将の藤原師家と、現在の関白・藤原基通との、中納言争いにあると言われました。しかし、それならば、藤原基房一人がどんな目にでも遭えばよいものを、どうして、43人もの人々が憂き目に遭うのでしょう。およそ平清盛の無道はこれに限りませんが、清盛の心に天魔が入り込んで、何事にも腹を据えかねるようになったと言われました。そのため、都中が、大騒ぎになりました。

 去年、建礼門院懐妊の際に、故讃岐院に「崇徳天皇」の追号をし、宇治左大臣・藤原頼長に増官、増位が行われましたが、世間はなお静まりません。

(2011年11月9日)


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