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(82)俊寛の娘の手紙

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 俊寛は、これは現実のことだと思い定めました。俊寛は、「去年、藤原成経と平康頼に迎えが来た時も、私の赦免はなかった。今、また、お前が来ても、赦されたとは言わない」と告げました。有王は、涙にむせて、うつむき、しばらく返事ができませんでした。

 しばらくして、有王は起き上がりました。涙を抑えて告げました。

「あなた様が西八条へ連れて行かれてから、検非違使の役人が来て、家財道具を取り上げ、身内の者たちを捕まえました。謀反の次第を問いただし、皆、殺してしまいました。北の方は、小さな子どもをかくまい、鞍馬の奥に忍び暮らしていました。私だけ、ときどき出向いて、お仕えしていました」

「どの方のお嘆きも気の毒ではありましたが、中でも、幼い人はあまりにも、あなた様を恋こがれ、私が訪れるごとに、『やい有王、われを鬼界が島とやらへ連れていけ』といい、むずかりました。しかし、去る2月に、疱瘡(ほうそう)という病気で死んでしまいました」

「北の方は、幼い子を失くしたお嘆きといい、ひとかたならぬもの思いに沈まれ、寝込んでしまいました。去る3月2日、ついに、亡くなりました。今は、姫様がただひとり、奈良の叔母殿の元で忍んでおられます。姫様から、手紙をいただいてきました」

 有王は、そう告げて、手紙を取り出しました。

 俊寛が手紙を開けると、有王が言うとおりのことが書かれていました。また、手紙の奥に、「3人で流された人が、どうして、2人だけ召し返されて、お父様一人が残されているのですか。身分の高い低いにかかわらず、女の身ほど頼りないものはございません。もし男なら、お父様が流された島へ訪ねていくのに。有王をお供につれて、早く帰ってきてください」と書かれていました。

 俊寛は、「これを見よ、有王よ。この子の手紙の書きようのあどけないことよ。お前を供にして早く帰ってきてくださいと書かれていることの恨めしさよ。思うままになる身なら、どうしてこの島で3年の春秋を送るものか。姫は今年12歳になると思うが、これ程に幼いと、どうして、人の妻ともなり、宮仕えの奉公をして、わが身を助けていけよう」と泣きました。

 有王は、

  人の親の心はやみにあらねども

   子を思う道にまどいぬるかな  中納言兼輔『後撰集』巻十

 という歌の意味を今こそ思い知ったようでした。

(2011年11月5日)


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