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ミニシアター通信平家物語 > (83)俊寛の最期

(83)俊寛の最期

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 俊寛は言いました。

「この島に流されてからは、暦がないので月日のたつのも分からない。ただ、おのずから花が咲き、葉が落ちるのを見て、3年の春秋を知った。蝉の声を聞き麦秋を送れば夏と思い、雪が積もれば冬と知る。月の満ち欠けを見て30日を知り、指を折って数えると今年6歳になると思う子どもも、先立ってしまったという。西八条へ出頭する時、その子がいっしょに行くと慕ってきたのを、すぐに帰るからとなだめたが、それが今生の別れとなってしまった」

「親となり、子となり、夫婦の縁を結ぶのも、皆、この世だけの契りではない。今は、姫のことばかりが心配だが、姫は生きているので、嘆きながらも日々を過ごしていくだろう。かくなるうえは、このうえ私が生きながらえて、お前をつらい目に遭わせるのも、われながら、もうしわけがない」

 俊寛は、そう告げると、自ら食を絶ち、ひたすら弥陀の名号を唱え、死期に臨んで乱れのない心で、祈りつづけました。有王が島に来てから23日目、俊寛は、庵の中で、ついに臨終しました。享年37歳といいます。

 有王は、俊寛の体に取りつき、天を仰ぎ、地に伏して、心ゆくまで泣きました。それから、「いっしょに死んで後世のお供をすべきところですが、幼い姫様がこの世に一人残されただけで、後世を弔う人もいない。しばらく生きながらえて、菩提を弔おう」と、その日のうちに、庵を崩して、松の枯れ枝や葦(あし)の枯れ枝をかぶせ、火をつけました。

 火葬が終わると、有王は、俊寛の白骨を首から下げ、再び商船に乗って、九州に渡りました。

 それから、俊寛の姫が隠れ住んでいる所を、有王は訪れました。有王は、ことの次第を初めから、こまごまと話しました。

 有王は言いました。「なまじ手紙をご覧になったばかりに、恋しさが募ってしまったようです。鬼界が島には、硯も紙もありませんので、返事を書くこともできません。思ったことはみな胸にしまったまま、亡くなられました。もはや、たとえ幾たび生まれ変わろうとも、声を聞き、お姿を見ることはかないません。いまはただ、ひたすら、菩提を弔いなされ」

 姫は、聞き終わる前から、うつ伏して泣きました。この姫が、やがて12歳の尼となり、奈良の法華寺で、父母の後世を弔ったのはあわれです。

 有王は、俊寛の遺骨を首にかけ、高野山に上りました。奥の院に俊寛の遺骨を納め、金剛峰寺の東2キロ程の場所にある蓮華谷で法師になりました。諸国七道を行脚し、主である俊寛の後世を弔いました。

 このように人々の思いや嘆きが積もるほどに、平家の行く末が恐ろしく感じられます。

(2011年11月5日)


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