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(85)平重盛

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 つむじ風が起きたのと同じ夏、小松の大臣・平重盛は、災厄などに心細く思われたのか、熊野神社へ参詣しました。本宮の証誠殿の前で静かに仏事に取り組み、夜通し、以下のようなことを告げました。

「父・入道相国、平清盛の有り体を見るに、悪行無道にして、ややもすれば君をすら悩まします。その振る舞いを見ると、一代の栄華すら怪しく思われます」

「重盛は長子として、しきりに諌めていますが、不肖の息子ゆえ、真剣に聞いてもくれません。子孫相次いで親を顕し、名をあげることは難しい」

「この期におよんで、重盛はかりそめにも思います。世間並みに没落することは、良臣孝子の法にそぐいません。むしろ、名を捨て、官を退き、現世での名望を捨て、来世の菩提を弔いたい。しかし、凡人ゆえ、決断ができずに迷っています」

「願わくは、南無権現、金剛童子よ、平家が絶えず子々孫々まで朝廷に仕え、清盛の悪心を和らげて、天下に泰平をもたらしたまえ」

「また、もし、栄華は一代限りで子孫が没落するのならば、この重盛の命を縮めて、来世の苦渋から救いたまえ。この2つの願い事、ひたすら神妙にお頼み申し上げる」

 重盛が、そのように肝胆を砕いて祈願すると、重盛の体から、燈籠の炎のようなものが出て、ぱっと消えるがごとくに無くなりました。多くの人が見ていましたが、恐れて誰も口にしませんでした。

 重盛の下向の際、和歌山県の岩田河(富田川)を渡ることになりました。嫡子で東宮権亮右近衛少将の平維盛以下の君達は、浄衣(じょうえ)という白い狩衣の下に薄紫色の衣を着ていました。夏のことなので、何とはなしに水遊びなどをしていると、浄衣が濡れて下の薄紫色が透けました。

 その様子が喪服の色のように見え、筑後の守・平貞能(さだよし)が見とがめて「あの浄衣は何たることか。世にも不吉に見えます。急ぎ、召し替えさせましょう」と言いました。しかし、重盛は、「さて、わが願いはすでに成就した。浄衣を改めるには及ばない」と告げ、岩田河から熊野神社へ、悦びの奉幣(供物・御幣)を特別に送りました。

 人々は真意が分からず不思議に思いましたが、ほどなくして、この君達たちが本当の喪服を着ることになったとは不思議なことです。、平重盛は、熊野神社から戻って数日後、病になりました。熊野権現はすでに祈願を聞き入れたと、治療もせず、祈祷もしませんでした。

(2011年11月7日)

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