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(72)安徳天皇

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 御験者には、右大臣源顕房の孫の「房覚僧正」、民部少輔藤原忠成の子「昌雲僧正」、神祗伯彰伸の子「俊堯法印」、「豪禅僧都」、「実全僧都」がいました。それぞれ、祈祷の際に本尊を驚覚する為にあげる験者の加句をとなえ、本寺本山の三宝、年来所持の本尊たちへ、繰り返し訴えて祈祷しましたので、この分では効験もあろうと思われて尊く感じていました。

 なかでも、後白河法皇は、ちょうど熊野神社から勧請した神社に御幸するタイミングでしたので、精進のついでに、錦帳の近くに座って、千手経を高らかに唱えあげました。後白河法皇の祈祷は、ほかの祈祷とはことのほか違って、物の怪をのり移らせていたため踊り狂っていた童子たちも呪縛にかかり、しばらく静まりました。

 後白河法皇は、「たとえどんな物の怪だろうと、この老いぼれ法師がこのように祈祷すれば、どうして近づくことができよう。とりわけ、今、現れている怨霊どもは皆、わが朝恩によって人に戻った者たちだ。たとえ報謝の心こそなかったとしても、どうして、障りができようぞ。速やかに、退散せよ」と告げ、『女人生産し難からん時に臨んで、邪魔遮障し、苦忍び難からんにも、心を致して大悲呪を誦経せば、鬼神退散して、安楽に生ぜん』とよみあげ、水晶の数珠を押し、また、揉みました。

 そのかいがあり、建礼門院は無事に出産を終え、そのうえ、皇子が誕生しました。

 皇子が誕生すると、平清盛の五男の本三位中将・平重衡が、その時はまだ中宮の権亮でしたが、御簾から急ぎ出てきて、「御産平安、皇子の御誕生ぞ」と高らかに告げました。

 後白河法皇をはじめ、関白松殿の藤原基房、太政大臣の藤原師長以下の公卿や殿上人、それぞれの供の僧、陰陽頭、典薬頭、無数の修験者たち、貴い人も身分の低い人も、一同に、あっと声をあげてよろこびました。その声は、門外まで聞こえ、しばらくはやみませんでした。

 平清盛はあまりのうれしさに、声をあげて泣きました。うれし泣きとはこれをいうのでしょう。

 平重盛は、急ぎ建礼門院の所へ参上し、金99文を皇子の枕元に置き、「天をもっては父とし、地をもっては母と定めるべし。御命は漢の武帝の時代の方術士で仙術に長け長寿を保った東方朔(とうぼうさく)の年齢まで保ち、御心には天照大神が入らせ給え」と、桑の弓に、蓬(よもぎ)の矢をつがえ、天地四方に放ちました。

(2011年10月27日)


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