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(75)平清盛の厳島神社信仰

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 いったい平家が厳島神社を崇敬するに至った経緯はどのようなものでしょうか。

 平清盛がいまだ安芸守だったころ、安芸の国の負担で高野山金剛峰寺山上の多宝塔である大塔を修理することになりました。清盛は、渡辺の遠藤六郎頼方を雑役につけ、6年で修理を終えました。

 修理が終わったのち、清盛は高野山へ登りました。大塔をおがみ、奥の院へ行くと、どこからともなく、白髪の老僧が、眉に霜を垂らし、額に波のようなしわを刻み、二股の鹿杖にすがりつきながら、現れました。

 僧はとりとめもない話をして去りました。話の中身は以下のとおりです。「そもそも、当山は、昔から真言の密教を伝えて衰えがない。天下に2つとない山だ。その当山の大塔はすでに修理が終わった。当山に続き、越前の敦賀にある気比神宮と安芸の厳島神社は、気比神宮が金剛界の神、厳島神社が胎蔵界の神と、両界の垂迹である。しかし、気比神宮は栄え、厳島神社は長く荒廃している。どうか、この機会に同じく奏聞し、厳島神社も修理してみなさい。完了したのちは、官位が天下に並ぶ者がなくなるに違いない」

 老僧がいた場所に、不思議な芳香が残っていました。人を出して後を追わせましたが、3町(約330メートル)ばかりで、かき消すように消えて、いなくなってしまいました。

 清盛は、「これはただの人ではない。弘法大師に違いない」とますます尊く覚え、この世の思い出にと、高野山の金堂に、金剛界曼荼羅を、常明法印という絵師を使って描かせました。胎蔵界曼荼羅は、清盛自ら「清盛が描こう」と筆をとりました。しかし、八葉の中尊・大日如来の宝冠を、何を思ったのか、わが頭から出した血で描く、と言って描いたとか。

 その後、清盛は都へ上り、参院すると、君も臣も感心しました。

 清盛は国司の任期4年を延長して、厳島神社を修理しました。鳥居を建て替え、社々を造りかえ、柱と柱の間が180ある回廊を造りました。

 修理が完了してのち、清盛は厳島神社へ参り、夜を明かしました。その時の夢で、御宝殿の戸が開き、鬢(びんづら)を結った天童が姿を現しました。

 天童は、「われは大明神の使いなり。汝、この剣をもって、朝家の固めとなるべし」と告げ、清盛は、柄に銀の輪を間隔を置いて巻く、蛭巻きにした小長刀を天童から賜るという夢を見ました。清盛が夢から覚めると、現実に、小長刀が頭の上の所に立てられていました。そのうえ、大明神のお告げがありました。大明神は、「汝は覚えているか、忘れてしまったか。われが、ある聖に言わせたことを。ただし、悪行があれば、官位繁栄は子孫までは及ばない」と告げ、昇天しました。まことに、めでたいことです。

(2011年10月30日)


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