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安徳天皇が誕生すると、祈祷の勧賞が行われました。仁和寺の御室へは、勧賞として東寺が修造されることになりました。また、毎年正月8日から14日までの7日間行われる御修法、大元の法、灌頂の式が行われる旨の下知がありました。加えて、守覚法親王の弟子の円良法眼が法印に昇進しました。
天台座主の覚快法親王は、二品ならびに牛車の宣旨を所望しましたが、仁和寺へ先に出していた勧賞に従い、弟子で藤原忠宗の子・覚誓僧都を法印に昇進させました。そのほか、勧賞は枚挙にいとまがないといわれました。
日が過ぎると、建礼門院は六波羅から内裏へ戻りました。
平清盛は、「娘が后になったからは、ああ早く、皇子誕生となり、皇位につけて、夫婦共に、外祖父、外祖母と仰がれたいものだ」と願っており、崇敬する厳島神社へ祈願するため、月詣を始めました。そのためでしょうか、建礼門院がやがて懐妊し、無事に皇子が生まれました。まことにめでたいことです。
(2011年10月30日)
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