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ミニシアター通信平家物語 > (348)那須与一

(348)那須与一と扇の的

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登場人物:源義経、那須与一宗高、後藤実基、伊勢義盛

 源義経が平家の屋島の内裏を焼き払い、平家が船に乗って海に逃げると、阿波の国(徳島県)・讃岐の国(香川県)で、平家に背いて源氏に加勢する者が、あそこの嶺、ここの洞窟から、14、5騎、20騎と連れ立って馳せ参じてきました。義経の軍は、ほどなく、300騎ばかりになりました。

 そうしているうちに、「今日は日が暮れた。勝負を決すべからず」と、源平が互いに退き始めました。

 その時、沖から立派に飾った小舟が一艘、汀へ漕ぎ出してきて、陸から7、8段(約77から88メートル)ほどの場所で船を横にしました。

 源氏方が「あれは何だ」と見ると、船の上で、柳の五衣(やなぎのいつつぎぬ:柳重ねで、表は白く、裏の青い衣。五衣は紅の表衣の下に、柳かさねを5枚かさねたもので冬から春にかけて着用する)に、紅の袴を着けた18、9歳の女房が、地を全部紅色に彩った扇に金箔で日輪を描いたものを、舷に沿って棚のように渡した左右の脇板に挟み、陸へ向かって、手招きを始めました。

 源義経は、兵衛・後藤実基を呼び、「あれはどういうことだ」と聞くと、実基は答えました。

「射よということでしょう。ただし、大将軍が敵の矢の届く所まで出て傾城(けいせい:美女のこと)をご覧になったところを、手練れが狙い撃ちして仕留めようというはかりごととお思いください。しかしながら、扇は、射させたほうがよろしいかと存じます」

 実基がそう告げると、義経は、「味方に射るべきご仁は、誰かおらぬか」と尋ねました。「手練れどもは多くいますが、中でも、下野の国の住人で、太郎・那須資高の子の那須与一宗高こそ、小兵ではありますが、腕は確かです」とのこと。義経が、「証拠があるのか」と確認すると、実基は、「ございます。空を飛ぶ鳥を追いかけて、3羽に2羽は必ず射落とします」と告げました。義経は、「それなら、与一を呼べ」と命じました。

 那須与一宗高は、そのころはいまだ20歳ばかりの男でした。紺色の鎧直垂に、赤地の錦で直垂をさらに延ばしたものを着け、萌黄縅の鎧を着て、帯取の金具を銀色に造った太刀を帯び、24本指した切斑の矢を背負い、薄い黒色の切斑の羽に熊鷹の羽2枚を互い違いにはいだ矢鹿の角でつくった鏑矢をさし添えていました。滋藤の弓を脇に挟み、甲を脱いで高ひもに掛け、義経の御前に畏まりました。

 義経が、「いかに与一、あの扇の真ん中を射て、敵に見せてやれ」と命ずると、与一は答えました。

「お受けできません。もし、射損じたならば、お味方の弓矢の長き恥となります。しかるべきご仁にご命じ下さい」

 義経はたいへん怒り、「今度、鎌倉を立ち西国へ向かった者は皆、義経の命令に従うべきだ。それが少しでもわからない者は、ここから、今すぐに、鎌倉へ帰れ」と告げました。

 与一は、このうえ辞退したらよろしくないと思ったのでしょう、「それならば、当たる、外れるはさておき、ご命令なので、射てご覧にいれましょう」と、義経の前から下がりました。

 与一は、那須家の紋様である寄生木(ホヤ)を円形にした紋を前後の輪に青貝摺りにした鞍を置いた、太い、黒い馬に乗り、手綱を取って、汀へ向かいました。味方の兵どもは、与一の背中を見送って、「この若者なら、仕留めるだろう」と言い合いましたので、義経も頼もしく見守りました。

 与一は、少し遠かったので馬を海の中へ入れ、1段(約11メートル)ほど進みました。しかし、なお、扇までの距離は7段(約77メートル)ほどあるように見えました。

 時候は、元暦2年(1185年)2月28日の酉の刻(午後6時)頃。折節、北風が激しく、磯に打ち寄せる波も高く、船は揺り上げられ、扇をさし挟んだ竿も揺れています。

 沖では平家の船が一面に並び、見物していました。陸では源氏が馬を並べて見守っています。どちらも、ここが晴れとばかりにかたずを飲んでいます。

 那須与一は、目を塞ぎました。

「南無八幡大菩薩、さらに、わが生国・下野の神明・日光権現、宇都宮、那須温泉大明神よ、願わくば、あの扇の真ん中を射させたまえ。もし、あれを射損じたならば、弓を折り、自害して、再び人に面(おもて)を向けることはない。われを今一度、生国へ帰そうと思し召すなら、この矢を外させたもうな」

 そう心の中で祈願してから目を開けると、風が弱くなり、扇も射やすくなりました。

 与一は鏑矢を取り、弓につがえ、よく引き、ひょうと放ちました。小兵だが、弓は12束(そく:拳12個分)と3伏(ふせ:指3本分)の長さがあり、弓は強い。鏑矢は浦じゅうに響き渡るほど長く鳴り、誤まることなく、要から一寸ほどのところから、扇を射切りました。鏑矢は海へ落ち、扇は空へ舞い上がりました。春風に、ひと揉み、ふた揉み、揉まれ、海へさっと散りました。紅の扇が、夕日が輝くように白波の上を漂い、沈んでいく様子に、沖の平家は、船端を敲いて感じ入りました。陸の源氏は、えびらを敲いて、どよめきを作りました。

 余りの面白さに、感に耐えなかったのか、船の中から、50歳ほどの黒革縅の鎧を身に着けた男が白柄の長刀を杖にして、扇が立っていたところに立ち、舞を始めました。

 すると、伊勢義盛が与一の後ろに立ち、「命令だ。あれもまた、射よ」と告げました。与一は、今度は、箙にさす鋭い矢である「中差」を弓につがえ、弓をひき、ひょうと放ちました。矢は、舞を舞っていた男に命中し、船底へ射倒しました。「ああ、見事」と感じ入る者もいましたが、「いやいや、無情なことを」と言う者のほうが多くいました。平家方は静まりかえりました。音もしません。源氏は再び、えびらを敲いて、どよめきを作りました。

(2012年2月6日)


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