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(351)伊勢義盛

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登場人物:源義経、伊勢義盛、平教経、越中次郎兵衛、海老次郎

 夜が明けると、屋島の沖に逃げていた平家は、讃岐の国(香川県)の志度の浦(志度町の海浜)に退きました。

 源義経は、80騎で平家を追いました。平家はそれを見て、「源氏は小勢だ。囲んで、討ち取れ」と1000人ばかりで汀にあがり、源氏を包囲し、われが討ち取らんとばかりに攻め寄せました。しかし、そこに、屋島に留まっていた源氏の200騎が、遅ればせながら到着しました。平家は、「なんと、源氏の大軍が続いていた。何十万騎あるかわからない。囲まれては、かなわない」と、船に退却しました。潮に引かれ、風にまかせ、どこを目指すともなく、揺れらていくことこそ悲しい。四国は義経に攻め落とされ、九州へは入れず、ただ中有(ちゅうう:死後未だ次の生を得ない49日の間)の衆生と見えました。

 源義経は、志度の浦に下りて、首検分をしていました。三郎・伊勢義盛を呼び、告げました。

「阿波民部重能の嫡子・田内左衛門教能は、平家の召集に応じない伊予の四郎・河野通信を攻めるため、3000騎を連れて伊予へ行ったが、通信を打ち漏らし、家の子・郎党の首150を斬って屋島の内裏へ送ったという。その田内教能が今日、ここへ到着すると聞いた。お前が出向いて、よきように計らってみよ(降伏させよ)」

 伊勢義盛は畏まって義経の命を受け、源氏の白旗を一流掲げ、16騎の手勢をみな白装束にし、馳せ向かいました。

 義盛は、田内教能の3000騎に行き合いました。1町(約109メートル)ほどの距離に、源氏の白旗と、平家の赤旗が向き合いました。義盛は、使者に用件を告げさせました。

「すでにお聞きのことと思いますが、鎌倉殿源頼朝殿の弟・源義経殿が平家追討の院宣を賜って、西国へ来ています。私は、その義経殿の身内の伊勢義盛という者ですが、いくさで来たのではありません。甲冑もつけていません。弓も持っていません。それは、大将に申し伝えることがあってのこと。開けて、通させたまえ」

 3000騎の強者たちは、中を開けて通しました。

 伊勢義盛は、田内教能に馬を並べて、告げました。

「既にお聞きと思いますが、鎌倉殿・源頼朝殿の弟の源義経殿が平家追討のために四国へ来ている。一昨日、阿波の勝浦に着いて、貴殿の伯父・桜間介殿を討ち取り、昨日は屋島でいくさをし、御所・内裏を皆、焼き払った。安徳天皇は海へ逃れられ、平宗盛父子を生け捕りにした。能登殿・平教経殿は自害。平家一門のほかの人々も、自害、あるいは、入水した。残党が少々残っていたので、今朝、志度の浦で討ち取った」

「貴殿の父の阿波民部重能は、降人になり、義盛が預かっている。重能殿は、夜じゅう、『なんと無慚な、田内教能はこのことを夢にも知らない。明日は、いくさをして討たれるのだ。無慚なことよ』と嘆いておられる。それを知らせるために、ここまで来た。今は、われらといくさをして討たれることも、甲を脱ぎ、弓の弦を外し、降人となって父ともう一度会うことも、貴殿の心次第だ」

 伊勢義盛からそう告げられると、田内教能は、「今までに聞いていたうわさと少しも違わない」と、甲を脱ぎ、弓の弦を外し、降人となりました。大将が降人になったので、3000騎の兵も、義盛のわずか16騎に連れられて、源氏に下りました。

 伊勢義盛は、源義経の前に畏まり、田内教能と3000騎を投降させた旨を報告しました。義経は、「義盛のはかりごとは、今に始まったことではないが、神妙なものだ」と感心し、すぐに、田内教能から武装を取り上げて、身柄を、義盛に預けました。

 義経が、3000騎の強者たちを見て、「さて、あの強者どもはどうすべきか」と口にすると、義盛は、「遠国の者どもは、誰を主に仰ぐということはありません。ただ乱世を鎮め、国を治める者を主と仰ぐでしょう」と告げました。義経は「その儀、もっともなり」と、3000騎の兵を皆、自軍に組み入れました。

 そうしているうちに、大風大波を恐れ、あるいは、梶原景時を恐れて渡辺・福島に留まっていた200艘の源氏の船団が、元暦2年(1185年)2月22日の辰の刻(午前8時)に、梶原景時を先頭にして、屋島の磯に到着しました。「四国はすでに義経に攻め落とされている。今は何の用もない。6日の菖蒲(5月5日の節句を過ぎて役に立たない菖蒲)、会に逢わぬ花(法要に間に合わなかった献花)、いさかいが終わってからの棒というものよ」と笑いものになりました。

 義経が屋島へ渡ったのち、住吉神社の神主・津守長盛が上洛し、参院して、後白河法皇に奏聞しました。

「去る16日の丑の刻(午前2時)ほどに、当社第三の神殿から、鏑矢の音が聞こえ、西を指して飛び去りました」

 後白河法皇はおおいに感心し、御剣以下、様々な神宝を、長盛をとおして、住吉大明神へ奉納しました。

 昔、神功皇后が新羅を攻めたとき、伊勢神宮から二柱の荒御神を先鋒として連れて行きました。二神は、船の先へ立ち、新羅をたやすく従えました。異国のいくさを鎮めて帰朝したのち、一神は摂津の国の住吉郡に留まりました。住吉大明神のことです。もう一神は、信濃の国の諏訪郡に鎮座しました。諏訪大明神です。君も、臣も、「昔の征伐のことを忘れていないで、今も朝敵を滅ぼしたまうのか」と頼もしく思いました。

(2012年2月8日)


(352)源義経と梶原景時

(353)壇の浦

(354)壇の浦の戦い


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