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(219)横田河原の戦い

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登場人物:城助茂(長茂)、源義仲、井上光盛

 養和2年(1182年)5月24日に改元があり、寿永と号しました。その日に除目があり、越後の住人の四郎・城助茂が越後の守に任命されました。兄の城助長が死去したので不吉としきりに辞退したのですが、勅命なので受けることになりました。助茂は、長茂と改名しました。

 寿永元年(1182年)9月2日、越後の住人の四郎・城長茂は、木曽の源義仲追討のため、越後・出羽・会津4郡(摩耶、大沼、河沼、会津)の兵を動員して、4万騎で、信濃の国へ出発しました。

 9日、城長茂は、信濃の横田阿原に陣を敷きました。

 源義仲は上田市南方の依田城にいましたが、3000騎で城を出て馳せ向かいました。そのとき、信濃源氏の九郎・井上光盛の計略で、3000騎を7手に分け、急づくりで、平家の赤旗を7流、作りました。源氏は、手に赤旗を持って、あそこの峯や、ここの洞から近づきました。城長茂の越後軍は赤旗を見て、「ああ、この信濃の国にも味方がいるとは。心強い」と勇み喜びました。

 しかし、平家に近づいた源氏は、合図で赤旗を斬り捨て、用意しておいた源氏の白旗をさっと掲げ、ときの声をいっせいにあげました。長茂の軍はそれを見て、「これは謀られた。敵は何十万騎あるかわからない。敵に囲まれてはたまらない」と慌てふためき、ある者は河へ追い詰められ、別の者は険しい場所に追い立てられました。助かる者は少なく、多数が討たれました。城長茂が懐刀と頼りにしていた越後の山太郎、会津の乗丹房などという一騎当千の強者たちが皆そこで討たれてしまいました。城長茂もけがを負い、命からがら、千曲川の川伝いに越後の国に退きました。

 横田河原の戦いでの敗戦は飛脚で都に伝えられました。

(2011年12月23日)


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