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「平家物語 巻の六」のあらすじと概要

2011年12月24日  参照回数:

 治承5年(1181年)の正月の様子から始まった平家物語「巻の六」は、高倉上皇崩御と、平清盛の死が語られます。源氏の動きでは、鎌倉の源頼朝に加え、木曽の源義仲が兵を挙げます。平家はいったんは、頼朝の軍勢を押し返し、頼朝の弟である義円を討ち取ります。しかし、清盛が頼みにしていた越後の城助長、長茂は、信濃の国で義仲と戦い、大敗します。関東、北国に加え、四国、鎮西(九州)でも反平家ののろしが上がり、時代が源氏に傾いてく様子が語られます。

 治承5年(1181年)の正月は、前年の南都炎上により、興福寺、東大寺大仏殿をはじめとして奈良が焼け落ちたため、元日の、百官が大極殿で賀辞を述べる儀式「朝拝」は行われず、安徳天皇の出御もありませんでした。さらに、1月14日には、安徳天皇の父で、平清盛の娘である平徳子(建礼門院)の夫・高倉上皇が21歳で崩御。世は喪にふし、内裏は静まりかえり、異様な雰囲気になっていることが語られます。

 故人を悼む意味もあるからでしょうか、「巻の六」では、しばらく高倉上皇の在りし日の姿が語られます。幼いころから帝王の資質を備え、紅葉が好きだった高倉上皇が、天皇時代に植えさせた紅葉を見に行く場面では、大風のあと散ってしまった紅葉を下級役人が全部掃除して酒を暖める火につかってしまった際に、とがめをしないで優雅に振る舞った様子などが語られます。

 また、高倉上皇は、幼い女童・葵の前を寵愛しました。しかし、世間体や、後の世に先例を残し、そしられることをはばかり、葵の前をかえって遠ざけたようです。それでも、高倉上皇は葵の前を思い続け、葵の前も高倉上皇を慕いながら、しかし葵の前は床に伏して亡くなってしまいました。

 葵の前を失った高倉上皇があまりに悲しむので、中宮平徳子の御方から、宮中一の美女といわれた小督という女房が献上されました。高倉上皇は小督を愛します。しかし、そのことで小督は平清盛の怒りを買い、ついに小督は出家させられる羽目になりました。

 そして、「巻の六」では、木曽の源義仲が挙兵します。廻らし文を出し、信濃や上野の源氏や縁故者たちを募り、軍勢を整えていきます。義仲は、戦いにめっぽう強く、人を引きつけるカリスマ性を持っていたようです。越後の城氏の軍勢と戦い、数的不利を戦術で凌駕、大勝しました。

 そうこうしているうちに、高倉上皇が崩御した翌月の治承5年(1181年)2月に平清盛が死にます。遺言は、供養は一切いらないので源頼朝の首を墓に捧げよ。平家物語は、平家=悪、清盛=悪、という大前提に立っているようにも思われます。仏教が尊いものであることと同様に、その前提は、疑う余地のない現象として、平家物語の世界を外側から包んでいるような気もしないではありませんが、「巻の六」では、故人を悼んでのこともあるからかもしれません、平清盛を高く評価する場面があります。福原遷都についてはまったくの失敗という位置づけですが、平清盛の最大の功績として、神戸港を整備して、海上交通の安全を確保したことを挙げています。

 また、清盛の出生の秘密も語られます。清盛は、平忠盛の子ではなく、忠盛が白河院(白河上皇)から賜った祇園女御と白河院の子であるとか。

 元号が治承5年(1181年)から、養和元年(1181年)に変わり、養和2年(1182年)から寿永元年(1182年)に変わりました。

 寿永2年(1183年)に、平家の総大将である平宗盛が内大臣に昇進します。しかし、平家が全国に宣旨や院宣を下しても、誰も従わない様子が語られて「巻の六」は終わりました。


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