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(208)平清盛の死

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登場人物:平清盛

 治承5年(1181年)閏2月2日、平清盛の正妻の二位殿・平時子が熱さに耐えがたかったのですが、清盛の枕元に近寄り、「御姿を見ると、日に日に頼りなく見えます。物事が少しでも分かるうちに、思うことがあれば、言っておいてください」と告げました。

 日頃はさしも豪気な清盛も、今はその時ですので、世にも苦しげでしたが、息も絶え絶え告げました。

「平家は保元、平治からこの方、度々、朝敵を平らげ、恩賞が身に余り、かたじけなくも、天皇の外戚として太政大臣の位に至った。栄華はすでに子孫に残した。今生に望みは、もう何もない。ただ、思い残すとしたら、兵衛佐・源頼朝の首を見ないことが、なによりもくやしい。死後、仏事、供養などする必要はない。仏塔も立てなくよい。急ぎ討っ手を出し、頼朝の首をはね、わが墓の前に掛けよ。それこそ、今生、後生の供養だ」

 清盛はそう言いましたが、なんとも罪深いことと思われます。もしや助かるかもと、板に水を吹き、伏してまどろみましたが、助かる心地もしませんでした。

 2月4日、平清盛は悶絶し、ついに、はね狂いながら死にました。弔問者の車、馬が往来する音は天にも響き、大地も揺らぎました。天皇、万乗の王にいかなることがあったとしても、これには勝ることはありません。享年、64歳。老衰ということではありませんが、運命がたちまち尽きてしまったので、大法、秘法の効験もなく、神妙仏陀の威光も消え、天部の諸神の擁護もなくなってしまいました。神仏でもそのとおりですので、人の力は言うに及びません。身に代わり、命に代わらんと忠義を誓った数万の軍隊は、屋敷の内外に居並んでいましたが、目に見えず、人の力ではどうにもならない無常の刹鬼(=死)を戦い食い止めることはできず、死に誘われて、冥途の山、三途の川を渡り、冥途への旅に出てしまいました。おそらくは、日ごろ作っていた悪業だけが、獄卒となり清盛を迎えることでしょう。あわれなことです。

 やるべきことはやらねばならないということで、2月7日、六波羅近くの愛宕寺にて荼毘に付され、骨は、左大臣・徳大寺実能の子の円実法眼が首にかけ、摂津の国へ下り、経の島(神戸市兵庫区築島という)に納められました。日本国中に名をあげ、威をふるった人ですが、身はひと時の煙となって都の空へたち上り、骨は世に残りましたが砂浜の真砂にたわむれつつ、空しき土となりました。

(2011年12月20日)


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