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登場人物:源義経、平時忠、平時実
壇の浦で捕らえられた平時忠父子も、源義経の宿所の近くにいました。もはやこうなってしまったらどうにもならないというのに、時忠はなお命を惜しく思ったのか、息子の平時実を呼び、告げました。
「人に見られてはならない文が入った箱を一つ、義経に没収された。もし、鎌倉の源頼朝が中を見れば、多くの人が殺され、私の命も助かるまい。どうしたらよいだろう」
時忠からそう相談された時実は、答えました。
「義経は猛き武士ですが、女の訴えは、どのような大事であっても、拒絶しないと聞いております。姫君がたくさんいますので、どの君でもいいから、義経の妻にさし出し、親しくなってから、言い出させたらどうでしょう」
時忠は涙をはらはらと流し、泣きました。
「そうは言うが、われは世にありし時は、娘たちを女房・后に立てようと思っていた。並の人間に嫁がせようとは、つゆほども思っていなかったのに」
そう言って時忠が泣くと、時実は、諭しました。
「今はそのようなことは、夢にも思ってはなりません。現在の北の方がお生みになった17歳の姫君を差し出しなされ」
時実はそう告げましたが、時忠はなお、17歳の娘を愛しがって、前の北の方が生んだ21歳になる姫君を、義経に差し出しました。
姫君は、年こそ少し高かったのですが、見目麗しく、心が優しかったので、義経も得難いことと思え、すでに太郎・河越重房の娘をめとっていましたが、時忠の娘のために別の家を用意し、座敷を設えて、娘を置きました。
さて、時忠の娘が、文が入った箱のことを言いだすと、義経は中身を確認することさえせず、すぐに時忠のもとへ箱を送りました。
時忠はたいへんよろこび、すぐに焼き捨ててしまいました。どのような文だったのか、気がかりに見えます。
すでに平家は滅んでいました。いつしか国々の動乱も鎮まり、人々も安心して往来できるようになり、京の都も穏やかになりました。世にはただ、「義経ほどの人物はない。鎌倉の源頼朝などは、何をしたというのだ。このまま義経の世が続けばよいのに」とうわさしました。
しかし、その評判が、頼朝の耳に入りました。頼朝は不快感をあらわにしました。
「何ということだ。頼朝がよく計らって、軍兵を差し向けたからこそ、平家はたやすく滅びたのだ。義経だけでは、どうして世を鎮めることができただろう」
「そのようにうわさをされるから、義経はいつの間にか、わがままになるのだ。他にいくらでもいるというのに、よりによって平時忠の婿になり、時忠を優遇するのも、見捨てておけない。また、世の評判をはばからず、時忠が義経を婿にしたことも、言語道断」
「おそらく、義経は関東に帰ってきても、過分の振る舞いをするだろう」
(2012年2月10日)
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