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(313)平知章の最期

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登場人物:平業盛、土屋重行、平経正、河越重房、平清貞、平清房、平経俊、平知盛、平知章、監物頼方、阿波民部重能、平宗盛

 平業盛(蔵人大夫で門脇殿・平教盛の末子)は、常陸国の住人の五郎・土屋重行と組んで討たれました。

 平経正(皇后宮亮)は、武蔵国の住人の小太郎・河越重房らに囲まれて、ついに討たれました。

 平清貞(尾張の守/平清盛の子)・平清房(淡路の守/平清盛の子)・平経俊(若狭の守/平経盛の子)は、3騎連れ立って敵の中に入り、散々戦い、敵の首をあまた取り、同じ場所で死にました。

 平知盛は生田の森の大将軍でしたが、軍勢がみな逃げ落ちたので、長子の平知章(武蔵の守)と侍の太郎・監物頼方を連れて、主従3騎で汀の方へ逃げていました。しかし、そこに、児玉党とおぼしき軍配団扇の紋のある旗を指した者10騎ほどが、馬で追いかけてきました。

 監物頼方は屈強の弓の名手でしたので、取って返し、まず、真っ先に駆けてきた大将旗を持つ旗指しの首の骨を射ぬき、馬から落としました。

 一団の中の大将とおぼしき者が、知盛と組もうと馬を並べました。父を討たせまいとした知章が中に割って入り、馬を並べ、むずと組んで、どうと落ちました。知章は敵の首を取り、立ち上がろうとしましたが、その時に、遅れてやってきた敵の童に首を取られました。監物頼方が来て、知章の首を取った敵の童を討ち取りました。その後、矢種をすべて射尽くし、太刀を抜いて戦いましたが、左の膝頭を深く射られ、立ち上がれずに、討ち死にしました。

 平知盛は、知章と監物頼方が戦っているすきに、そこを逃げ延びました。知盛は、すばらしく息の長く走る馬に乗っており、馬を海に入れ、20町(約2.2キロ)ほど泳がせ、平宗盛の船にたどり着きました。宗盛の船にはすでに多くの人が乗っており、馬を乗せる場所がありませんでした。なので、馬は、渚の方へ追い返しました。

 阿波民部重能が、「馬が敵のものになりましょう。射殺します」と矢一筋を弓につがえて進み出ました。知盛は、「たとえ誰のものになろうともなればよい。ただ今、わが命を救ってくれた馬だ。射るな」と告げましたので、重能は弓を収めました。馬は、主との別れを惜しみつつしばらく船を離れず、船といっしょに沖へ向けて泳いでいましたが、次第に船から離れ、主のいない海岸へ泳ぎました。足がつくほどになると、そこから船を顧みて、2、3回、いななきました。その後、陸に上がって休んでいたところ、河越重房が捕まえ、後白河法皇へ献上しました。

 この馬は、もともと、院の秘蔵の馬で、先年、平宗盛が内大臣に昇進した際、後白河法皇のもとへ官位昇進の慶びを伝えに出向き、その時に、後白河法皇から賜った馬でした。宗盛はその馬を弟の知盛に預けましたが、知盛はひどく大切にして、この馬のために、毎月1日に、泰山府君の祈りをあげさせました。知盛に大切にされたからでしょうか、馬も長寿を保ち、主の命を助けました。めでたいことです。この馬はもとは信濃の国の井上にいましたので、「井上黒」と呼ばれていました。今度は、河越重房が捕まえ院へ献上しましたので、「河越黒」と呼ばれました。

 平知盛は、宗盛の前に出ました。涙を流して告げました。

「知章に先立たれ、監物頼方をも討たれました。とても心苦しいです。子が父を討たせまいと敵と組む姿を見ながら、どこに子が討たれるのを助けずにここまで逃れてくる父がありましょう。ああ、これが他人事なら、非難のひとつもしたくなるのですが、わが身の上のこと。よくよく、命というものは惜しまれるものだと、今こそ、思い知りました。人々が私のことをどう思うと考えると、恥ずかしい」

 知盛が鎧の袖を顔に押し当ててさめざめと泣きました。宗盛は、「ほんとうに、知章が父の命に代わって討たれたことは世にまたとないこと。腕もたち、心も強く、よき大将軍だった。あの清宗と同じで、今年16歳か」と、自分の子の平清宗(右衛門督)がいる方を見て、涙ぐみました。居合わせた人々は、情けを知る者も、知らぬ者もみな、鎧の袖を濡らしました。

(2012年1月25日)

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