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(316)小宰相

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登場人物:平通盛の北の方(小宰相)、上西門院(鳥羽天皇皇女、統子)

 平通盛の北の方(小宰相)は、通盛の死を聞き、海に身を投げました。北の方の乳母は、北の方の後を追うために入水しようとしましたが、周りの人たちから止められ、出家しました。昔から、女が男に行き遅れる例は多数あり、出家するのが世の常ですが、身を投げるまではめったにありません。忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫に見(まみ)えずとは、まさに、このことをいうのでしょう。

 この北の方という人は、頭刑部卿・憲方の娘で、禁中一の美人。名を小宰相殿といいます。

 小宰相が16歳の安元(1175年-77年)の春、まだ上西門院(鳥羽天皇皇女、統子)の女房だった際、上西門院が法勝寺へ花見に行くことがありました。その時に、当時、中宮亮で花見に供奉した通盛が見初めた女房でした。

 はじめ、通盛は歌を詠み、文を尽くしました。しかし、玉章(たまづき、手紙)の数ばかりが連なり、受け入れられることはありませんでした。文を送ってからすでに3年という時、通盛はこれが最後と決めた手紙を書き、小宰相のもとへ遣わしました。しかし、使者は、いつも手紙を取り次いでくれる女房にすら会えず、空しく帰り道を歩いていました。折節、里から上西門院の御所に帰る小宰相の一向と行き合いました。

 使者は空しく帰ることのつれなさから、一行のそばを走り抜けるふりをして、小宰相の乗る車のすだれの中へ、通盛の手紙を投げ入れました。小宰相が気が付いて、誰が投げ入れたのか供の者に尋ねましたが、皆、「知らない」と答えました。小宰相が手紙を開けてみると、通盛からの文でした。車に残すわけにもゆかず、さすがに大路に捨てることもできないので、小宰相は袴の腰にはさみ、御所へ帰りました。

 さて、御所に戻った小宰相は、宮仕えしているほどに、場所もあろうに、上西門院の御前に文を落としました。上西門院が拾って、急ぎ、袂の中に隠しました。

 上西門院は、「珍しいものを拾いました。持ち主は誰でしょう」と尋ねましたが、御所中の女房たちが、八百の神仏にかけて、「知らない」と申します。しかし、その中で、小宰相だけが、ほほを赤らめて返事をしません。上西門院は、内々に通盛が小宰相に言い寄っていることを聞いていましたので、中を開けてみました。炊きこめた香煙のにおいが深く、筆づかいも達者。「あまりにかたくななのも、今はなかなか頼もしく思います」など、細々と書いてあり、奥に一首、詠まれていました。

  わが恋は細谷川の丸木橋

    ふみ返されてぬるる袖かな

 上西門院は、小宰相を諭しました。

「これは会わぬのを恨んだ歌ですよ。あまりにかたくななのも、かえってあだとなることもありますよ。平安時代の中ごろに、小野小町という、見目麗しい人がいました。しかし、恋愛の仕方が尋常ではなかったので、見る人、聞く人が皆、胆をつぶしました。それでも、かたくなな人という名を得ることはできました。でも、ついには、人からの嘆き恨みを積もらせたからでしょうか、風を防ぐ壁もなく、雨をしのぐ天井もなく、無宿の宿の月星が涙を照らし、野辺の若菜、沢の根芹を摘んで、露の命を過ごしましたよ」

 そう告げた上西門院は、「これはいかにしても、返事をしなければ」と、すずりを用意させ、自ら筆を取りました。

  ただ頼め細谷川の丸木橋

    ふみ返しては落ちざらめやは

 胸の内の思いは富士の煙に顕れ、袖の上の涙は清見が関の浪になることでしょう。美貌は女が幸せを得る源なので、通盛は小宰相を賜り、深く愛し合いました。なので、西海の浪の上、船の中までも引き連れ、ついには、いっしょに冥途の旅路へ出ました。

 門脇中納言・平教盛は、嫡子・平通盛、末子・平業盛に先立たれました。今、頼みになる人は、能登の守・平教経と、僧の中納言律師・忠快だけとなりました。故通盛の形見に小宰相を大切にしようと思っていたのですが、それさえこのようなことになってしまいました。平教盛は、とても、心弱くなりました。

(2012年1月28日)


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