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(203)源義仲の廻らし文

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登場人物:源義仲、帯刀先生義賢、木曽中三兼遠

 そのころ、信濃の国に、木曽次郎義仲という源氏がいるとうわさされていました。義仲は、東宮武官の長官である帯刀先生(たてわきせんじょう)義賢の次男。義賢が去る久寿2年(1155年)8月12日、鎌倉の悪源太義平の為に殺された時、義仲は2歳。義仲の母が抱いて、泣く泣く信濃へ下り、木曽中三兼遠を訪れ、「この子をどうか育て、ひとかどの者にして私に見せてください」と告げると、兼遠は承知して養育しました。義仲は大きくなるに連れて、容姿、態度ともに人に勝り、心も比類なく剛の者となりました。弓矢、太刀、長刀のどれを取っても、上古の坂上田村麻呂、藤原利仁、余五将軍・鎮守府将軍の平維茂、高望王第4世の孫・至頼(ちらい)、藤原保昌、先祖の頼光(らいこう)、義家朝臣といえども、どうして義仲に勝ることがあろうかと言われました。

 13歳で元服した義仲は、まず石清水八幡宮に参詣しました。夜通し拝み、「わが4代の祖父・義家朝臣は、八幡様の御子で、名前を八幡太郎義家と号しました。なので、ここに、義家の跡を継ぐべき者として、八幡様の御前で髻を結い、木曽次郎義仲と名づけました。日頃は守役の木曽中三兼遠の供で都へ上り、平家の振る舞い、有り様を、偵察しています」と報告しました。

 あるとき、義仲は、守役の兼遠を呼び、「兵衛佐・頼朝殿は、関東8か国を従えて東海道から都へ攻め上り、平家を追討しようとしている。義仲も東山道、北陸道の両道を従えて、頼朝殿よりも一日でも先に平家を滅ぼし、たとえば、日本国に頼朝と義仲という2人の将軍がいると仰がれるようになりたいと思うが、どう思う」と問いました。

 兼遠は、「その料簡のためにこそ、君を20余年まで育て申した。そのように言われることは、正しく、八幡太郎義家殿の末えいのしるしと思えます」と答えました。すぐに、蜂起の計画に取り掛かりました。

 「まず、廻らし文を出そう」ということになり、信濃の国では、根井小弥太・滋野行親を誘うと、行親は同心しました。そして、行親をはじめとし、信濃一国の兵たちが皆、義仲に従いました。上野の国では、多胡郡の兵たちが、義仲の実父・義賢とよしみを通じていたので、義仲に従いました。平家の運命が末になった折、時宜を得て、源氏年来の宿願を遂げようとしています。

(2011年12月19日)


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