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(205)南海の兵乱

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登場人物:河野通清、額西寂、湛増、奴田次郎

 河内で兵乱があり、鎮西(九州)が背いたと飛脚があったのち、治承5年(1181年)2月16日、今度は、伊予から飛脚が来ました。去年の冬から、伊予の住人の四郎・河野通清が平家に背き、源氏に同心したため、平家に志の深い備後の国の住人の入道・額西寂(ぬかのさいじゃく)が3000騎の手勢で伊予に攻め入り、伊予を東伊予(道前)、中伊予(道後)、西伊予(宇和)と3分割した際の東伊予と中伊予の境にある高直城に押し寄せ、散々に攻めました。結果、河野通清は討ち死にしました。通清の子の四郎・河野通信は、母方の伯父で安芸の国の住人・奴田次郎を訪れていたので居合わせず、父を討たれてなみなみならぬ思いでしたが、なんとしても、西寂を討ち取ってやると、機をうかがっていました。

 西寂は四国の兵乱を治め、治承5年(1181年)1月15日に、備後の鞆(とも)に渡り、遊男・遊女を呼び集めて、遊び戯れ、酒盛りをしていました。そこへ河野通信が、覚悟を決した100人を集め切り込みました。西寂方は300人余りでしたが、急な襲撃のため防戦できず、慌てふためきました。通信は、向かってきた者たちを射殺し、切り殺し、まず西寂を生け捕りにしました。伊予の国に戻り、父が討たれた高直城まで連れて行き、のこぎりで西寂の首を切ったとも、はりつけにしたとも言われました。

 その後、四国の者たちは、河野通信に従いました。

 また、紀伊国の住人で熊野の別当・湛増(たんぞう)は、平家恩顧の者でしたが、急に心変わりをして、源氏に同心したとうわさされました。

 平家の人々は、「東国・北国が背き、南海(四国)、西海(九州)までもがこの様子」と嘆き、地方の武士たちの蜂起は都の人々の耳を驚かし、天下逆乱の兆しがあるとしきりに奏上されました。四方の武士たちが蜂起しました。世が乱れ失われようとしていることを、平家一門でなくても、心ある人々は皆、嘆き悲しみました。

(2011年12月19日)

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