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(68)赦し文の到着

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 鬼界が島の流人への赦し文を携えた使者は、すでに都を発ちました。宰相・平教盛は、あまりのうれしさに、公の使者に、教盛自身の使者を付けて、発たせました。使者たちは、昼に、夜にと旅路を急ぎましたが、海路は思うように進むことができず、波風をしのぎながら下っているうちに、都を7月下旬に出ましたが、鬼界が島に到着したのは、9月20日ころでした。

 使者は、丹左衛門尉(たんざえもんのじょう)の基康(もとやす)という者でした。基康は、急いで船から出て、「ここに都から流された平康頼と、藤原成経殿はいますか」と、声に出しながら尋ねました。

 康頼と成経は、例の熊野詣に出ていて留守でした。俊寛一人が残っていましたが、俊寛は、使者の声を聞き、「あまりのことに夢ではないだろうか。はたまた、欲界の第六天の魔王である天魔波旬(てんまはじゅん)がわが心をたぶらかすために言っているのか、とても現実とは思えない」と、慌てふためき、走るとも倒れるとも分からずに、急いで使者の前に出ました。

 俊寛は、「ここにいる私こそ、都から流された俊寛だ」と名乗りました。使者が首から下げていた文袋から、平清盛の赦し文を取り出しました。

 俊寛が赦し文を開くと、「重科は遠流に処したことで免じる。もはや帰京してもよい。このたび、中宮・建礼門院のお産のお祈りとして、特別な恩赦が行われた。よって、鬼界が島の流人、藤原成経、平康頼は赦免とする」とだけ書かれていて、俊寛の名前はどこにもありませんでした。

 俊寛は、書状を包んで上に重ねた白紙である礼紙(らいし)にあるのかもしれないと、礼紙を見ましたが俊寛の名前はありませんでした。赦し文を、頭からお尻へ、お尻から頭へと読みましたが、2人とだけ書かれていて、3人とは書かれていませんでした。

 そのうちに、藤原成経と平康頼が戻ってきました。成経が手に取って見てみても、康頼が読んでみても、2人とだけ書かれていて、3人とはありませんでした。

 夢かと思おうとすれば現実であり、現実かと思えばまた夢のようです。その上、2人のもとへは、都から、言伝(ことづて)の便りがいくつもありましたが、俊寛のもとへは、安否を尋ねる文すらありませんでした。俊寛は、さては私のゆかりの者たちは皆、都から去ったのかと思い巡らし、心細くなりました。

 俊寛は、「もともと、われら3人の罪は同じ。流された場所も同じ、どうして、赦免の折に、2人は召し返されて、1人は残ることがあるだろう。平家の思い忘れか、祐筆(ゆうひつ)の間違いか、これはいかなることであろうか」と、天を仰ぎ、地に伏して、泣き悲しみましたが、どうにもなりません。

 また、俊寛は、藤原成経のたもとにすがり、「俊寛がこのような目に遭っているのも、貴殿の父・藤原成親殿のよしなき謀反の為です。だから、よそ事と思わないでください。赦しがないのなら、都までということはかなわないまでも、せめて、この船で九州の地まで連れて行ってください。お2人がここにいればこそ、春には燕が、秋には田の面に雁が訪れるように、自然と故郷のことを伝え聞くことができました。今からのちは、どうすれば故郷の便りを聞くことができるのですか」と悶え、乞い頼みました。

 成経は、「まことに、もっともなことです。われらが召し返されるうれしさもさることではないのですが、貴殿の有り様を見ると、出発する気にもなれません。ただ、この船で共に都へ帰りたいとは思いますが、都からの使者が、どうしてもだめだとしきりに言います。そのうえ、赦しもないのに、3人いっしょに島から出たなどと聞こえてしまったら、なかなかやっかいなことにも成りかねません。ここは、成経がまず都へ上り、人々にもよく聞かせ、平清盛殿の機嫌をうかがい、迎えの人を来させましょう。それまでは、いつものようにいてください。何を置いても命が大切です。例えこのたびの赦免には漏れても、いつかは赦しが出ましょう」とさまざまに慰めました。

 しかし、俊寛は耐えられない様子です。

(2011年10月27日)


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