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(334)平維盛

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登場人物:平維盛、斎藤時頼、重景、石童丸、武里

 本宮・新宮・那智の熊野三山の参詣を終え宿願をかなえた平維盛は、勝浦町の浜の宮にある那智の摂社から小船に乗り、万里の蒼海に漕ぎ出しました。はるか沖に「山なりの島」という小島があります。維盛はそこに船を漕ぎつけ、岸に上がりました。大きな松の木を削って、泣く、泣く、名籍を残しました。

『祖父太政大臣平朝臣清盛公・法名浄海、親父小松内大臣左大将平重盛公・法名浄蓮、三位中将平維盛・法名浄円、年27歳、寿永3年(1184年)3月28日、那智の沖にて入水す』

 そう彫り付けて、再び船に乗り、沖へ漕ぎ出しました。覚悟を決めたうえでのことですが、いざという時になると、さすがに心細く、悲しくなりました。

 時候は3月28日、海の上には霞が出て、哀れを催します。大方の春の日でも、暮れゆく空はもの憂いものですが、いわんや、今日を最後にただ今限りのことなれば、さぞ心細いことでしょう。沖の釣り船が波に消えるのが見えても、さすがに沈むことはないので、身の上とは違うことを痛感します。仲間といっしょに故郷へ帰る雁の群れが北国をさして鳴く声も、都への言伝のように思え、漢の武帝の時代に漢の蘇武が胡国に捕らわれて武帝への忠誠の書を雁に結び付けて送った故事が思い浮かびます。

 維盛は、「これは何事だ。なお、未練が尽きないぞ」と思い起こし、西へ向かって手を合わせ、念仏を唱えました。しかし、その時でも、心の中では、「それにしても、都の妻子には、これで維盛も最後だと伝えたい。風の便りの訪れが待ち遠しい」と思っていましたので、合掌が乱れ、念仏をやめました。

 維盛は、引導の師として高野山から同行していたかつての滝口の武士で知己のある斎藤時頼に懺悔しました。

「あはれ、人の身は妻子というものを持ってはならないのだ。今生にて思いが募る上に、後生菩提の妨げとなることこそ口惜しい。ただ今も、思い出されたぞ。このような心を残したままでは、あまりに罪深いので、懺悔する」

 高野の聖と呼ばれていた時頼も、あわれに思いましたが、自分までも心を弱く持ってしまったら維盛が往生できないと思ったのでしょう、涙を押しとどめ、悲しむ様子を見せずに、告げました。

「あはれ、身分の高い人も低い人も、恩愛の道は断ちがたいものです。なので、そのように思われているのでしょう。中でも、夫婦の契りは、一夜の枕を並べれば、500度生まれ変わる前世からの因縁といわれます。夫婦の宿縁は浅くはありません」

「命ある者は必ず死滅するという生者必衰の理、会う者は必ず別れるという会者定離の理も、憂き世の習いです。新古今集に詠われたように、『末の露本の雫』(先立ち、遅れる人は露の雫よりもたくさんいる)の例もあれば、例え、先立ち、遅れるといえども、終にはみな、同じようにこの世を去るもの」

「かの『り山宮の秋の夕べの契り』(唐の玄宗皇帝が楊貴妃と「り山宮」で夫婦になろうと契ったこと、玄宗皇帝の生前の楊貴妃への恩愛)も、ついには心を痛めるもととなり、甘泉殿の生前の恩(漢の武帝が李夫人を愛した生前の恩愛)にも終わりがありました。仙術を極めた赤松子や、梅生にも生きている中では恨みがあり、仏道修行を極めた者でもなお生死の掟には従うものです。例え君が、長寿を誇ったとしてもその恨みはなくなることがありません。また、別れは、どのような時でも、同じくやってきます」

「第六天の魔王という外道は、欲界の六天を皆、わが物とし、中でも、六天に住む者が生死を離れ仏界に入ることを恨み、妻をとらせ、夫をとらせ、仏界に入るために思いを断ち切ることを妨げようとします。しかし、過去・現在・未来の三世の仏たちは、一切衆生を一人の子のように見ています。そして、誰しもを極楽浄土へ導こうとします。妻子というものは、永遠の昔から、人々が六道四生で生まれ変わりを繰り返しながら成仏できないでいる輪廻の絆のもとなので、重く戒めています」

「しかし、だからといって心弱くなることはありません。源氏の先祖の伊予入道・源頼義は、勅命を帯び、奥州の敵・安倍貞任、安倍宗任を攻めましたが、12年に及んだ戦いの間、人の首を切ること16000に及び、そのほか、山野の獣、川の魚などの命を絶つこと、幾千万にのぼります。しかし、終焉の時に、一念の菩提心を起こしたので、往生の願いをかなえました」

「そのうえ、出家の功徳は莫大です。前世の罪障は皆、滅びました。もし誰かが七宝の塔を建て、その塔の高さが三十三天に至ったといえども、出家した日の一日の功徳には及びません。また、誰かが百年、千年の間、百羅漢を供養したとしても、一日の出家の功徳には及ばないと言われています」

「罪深い源頼義も、心猛きながら、往生を遂げました。いわんや、君には頼義のような罪はありません。どうして、浄土へ行けないことがありましょう。そのうえ、熊野権現の本地は、阿弥陀如来です。弥陀の四十七願の第一願から第四十八願に至るまで、すべての誓願は、教化済度の誓願です。中でも、第十八願に、『設我得仏、十万衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚』と説かれています。念仏により往生することを伝えています」

「この教えを深く信じ、ゆめゆめ疑ってはなりません。真心を込めて念仏し、一回でも、十回でも唱えれば、弥陀如来は、億千万に及ぶ御体を縮め、1丈6、8尺(約4.8メートル)の姿で、観音、勢至(せいし)その他、無数の聖衆、化仏、菩薩たちが百重、千重に連なって姿を現し、伎楽を奏し、歌を詠いながら東の門を出て、来迎します。なので、御身こそ蒼海の底に沈みますが、心は紫雲の上へ上ることになります」

「成仏し、解脱し、悟りを開けば、娑婆の故郷に帰り、妻子を導くことは、『還来穢国度人天』の経文にあるとおり。疑う余地はありません」

 時頼は、妻子への未練を断ち切れない平維盛を、しきりに説き、念仏を勧めました。維盛も、しかるべき機縁と思い立ち、たちまち、未練を断ち切り、西へ向かって手を合わせ、声高に念仏を100回ほど唱え、「南無」の声と共に、海へ身を投げました。重景、石童丸も、同じく、御名を唱えながら、続いて身を投げました。

(2012年2月2日)


(335)平維盛の入水

(336)平頼盛

(337)平維盛の北の方


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