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(274)法住寺合戦

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登場人物:源義仲、樋口兼光、平知康、後白河法皇、今井兼平

 法住寺合戦は、寿永2年(1183年)11月19日の朝、始まりました。源義仲はすでに軍勢を出発させ、院の御所・法住寺殿にも、軍兵2万人が立てこもったといわれます。

 義仲は法住寺殿の西門へ押し寄せました。鼓の名手で「鼓判官」と呼ばれた平知康は、いくさ奉行を務めていて、御所の西の築垣の上に上り立ちました。知康の格好は、赤地の錦の直垂に甲だけを着けていました。その甲には四天王と書いたものが張り付けてあります。片手に鉾(ほこ)を持ち、もう一方には、金剛鈴。それを振り鳴らし、時には舞いを始めました。公卿・殿上人たちは、「風情なし。知康に天狗が憑いたぞ」と笑いました。

 平知康は大音声をあげました。

「昔は、枯れた草木でも宣旨を読みかければ、たちまち花が咲き、実がなった。飛ぶ鳥も地に落ち、悪鬼悪神も従った。いかに、末代末世といえども、どうして十善の君(天子)に向かって弓を引き矢を放ってよいことがあるだろうか。放った矢は、かえってお前たちの身に刺さり、抜いた太刀は、かえってお前たちの身を斬るぞ」

 義仲は、「奴にわめかすな」と命じ、ときの声をあげさせました。

 そのようにしているうちに、搦め手の樋口兼光2000騎が、新熊野社の方から、ときの声を合わせました。今井兼平は、鏑矢の中に火を入れ、法住寺殿の御所の棟に射立てました。折からの強風にあおられ、猛火が天に燃え上がり、炎が虚空に満ちました。

 黒煙が立ち込めると、いくさ奉行の鼓判官・平知康は、われ先に逃げ出しました。いくさ奉行が逃げ騒ぎになり、2万の兵も、われ先に逃げていきました。あまりの混乱に、弓を取る者は矢を忘れ、矢を取る者は弓を知らず、長刀を逆さまに持ち自分の足を突いてしまう者もいました。あるいは、弓をひっかけてしまい、弓が取れずに捨てていく者もいました。

 院の御所から付近の住民に、「落人がいたら、待ち構えて皆殺しにせよ」と命令が出ていましたので、住民も屋根に楯を並べて、屋根を押さえる石をかき集め、待ち構えていました。 七条通りの端を守っていた摂津の国の源氏が落ちていく時に、「あれ、落人だ」と言われ、石をさんざに投げつけられました。源氏は、「われらは院の味方ぞ。間違いをするな」と叫びましたが、「あんなことを言っているぞ。院宣ゆえ、皆、打ち殺せ」と石を投げました。源氏の兵たちは頭を割られ、腰を折られ、馬から落ちました。這いつくばりながら逃げた者もいました。

 八条通りの端は比叡山延暦寺の僧たちが固めていました。恥を知る者は討ち死にし、剛のない者は逃げていきました。

(2012年1月11日)


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