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(277)源仲兼

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登場人物:源仲兼、山本義高、加賀房、根井小弥太、仲頼、藤原基通

 蔵人・源仲兼は、50騎ばかりで、法住寺殿の西の門を固めて守っていました。そこに近江源氏の冠者・山本義高が騎馬で駆け付け、「各々方は誰を守ろうと門を固めているのか。後白河法皇も、後鳥羽天皇も、他所へ移ったぞ」と告げました。

 仲兼は、それならばと、大勢の敵の中に突入し、主従8騎になるまで、さんざんに戦いました。

 8騎の中に、河内の日下(くさか)党の加賀房という法師武者がいました。月毛の気性が荒く扱いにくい馬に乗っていましたが、「この馬はあまりに扱いにくく、乗りこなすことができません」と言いました。源仲兼は「それならこの馬に乗り換えよ」と、自分が乗っていた栗毛で尾の先が白い馬に乗り換えさせ、根井小弥太が200騎で控えている河原坂に突撃し、さんざんに戦い、8騎が5騎になりました。加賀房は、自分の馬が危ないと言って主人の馬に乗り換えましたが、運が尽きたのでしょうか、そこで討ち死にしました。

 源仲兼の家の子に、次郎蔵人・仲頼という者がいました。栗毛で尾の先が白い馬が誰も乗せずに駆けているのを見て、部下を呼び、「これは、源仲兼の馬と見えるが、まちがいか」と問うと、「まちがいございません」。仲頼が続けて「源仲兼はどの陣へ突入していった」と問えば、「河原坂の勢の中へ入られました。あの馬は、すぐに、そこから出てきました」との返事。仲頼は、「あな無残、討たれ給うた。竹馬の幼少から同じ場所で死のうと約束したのに、今は、別の場所で死ぬことが悲しい」と涙を流し、妻子の元へ最期の有り様を伝えるように託し、ただ一騎で、河原坂の敵陣へ駆け入り、鐙に掛けた足をふんばって立ち、大音声をあげました。

「宇多天皇の皇子・敦実親王の8代の後胤の信濃守・仲重の子で、次郎蔵人・仲頼、生年27歳だ。われと思わん人々は、寄り合い、見参せん」

 仲頼は、馬を縦、横、斜め、十文字に駆け巡らせ、散々に敵を討ち取りましたが、ついに討ち死にしてしまいました。

 源仲兼はそのことを知らず、兄の河内守・仲信を供に連れ、主従3騎で南を指して落ちました。いくさを恐れて宇治へ向かっていた摂政・藤原基通に、木幡山で追い付き、仲兼は馬から下りて畏まりました。基通が「何者だ」と問うと、「仲信、仲兼」と名乗りました。藤原基通は「てっきり、東国北国の凶徒かと思ったぞ」と感心し、「すぐにお前たちも供をしろ」と命じました。源仲兼と仲信は宇治の富家殿まで基通を送り、そこから、河内の国へ落ちていきました。

(2012年1月11日)


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