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(217)建礼門院の院号

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登場人物:中臣定隆、実巌、平徳子(建礼門院)

 養和元年(1181年)8月7日、太政官の庁にて、仁王経を講じて国家の安泰を祈る「大仁王会」が行われました。平将門追討の例に習ったといわれます。

 養和元年(1181年)9月1日、藤原純友の時の先例に習い、伊勢神宮へくろがねの鎧甲を献上しました。勅使である伊勢神宮の祭事その他を司る神職の長「祭主神祇権大副大」中臣定隆は、都を出発してから、近江の国・甲賀の駅で病気になり、3日、伊勢の離宮でついに死んでしまいました。また、調伏のために5大尊を檀上に置いて源氏滅亡の祈祷をしていた降三世を受け持った大阿闍梨が、大行事の彼岸所で伏したまま死んでいました。神明も三宝も、平家の願いを聞き入れないこと、はなはだしくみえます。

 また、大元帥明王を本尊として鎮護国家のために修する「大元の法」をしていた安祥寺の阿闍梨・実巌が、結願の際の目録「御巻数」に、平家追討を記していたことはおそろしいことです。「これはどういうことだ」と問われると、「朝敵調伏せよと仰せ下されました。当世のあり様を見るに、平家がもっぱら朝敵と見えます。したがって、平家追討を調伏します。なんの咎がありましょう」と答えました。奇怪なことをする実巌は死罪か流罪かと思われましたが、大小事の混乱に紛れて、何の沙汰もありませんでした。平家の時代が終わり、源氏の代になったのち、実巌は鎌倉へ下り、ことの次第を話しました。源頼朝は感心して、恩賞として実巌を僧正にしたといいます。

 養和元年(1181年)12月24日には、平清盛の娘で高倉天皇(上皇)の中宮・平徳子が号を与えられ、建礼門院と言われました。天皇がいまだ幼少の時に母后に院号が与えられるのはこれが初めてと言います。

 このようにして年が暮れ、養和も2年になりました。

(2011年12月23日)


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