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登場人物:建礼門院、冷泉大納言隆房の北の方、七条修理大夫信隆の北の方、大納言佐殿(平重衡北の方)
壇の浦の戦いの後、建礼門院(平徳子、平清盛の娘、高倉天皇の后、安徳天皇の母)は、文治元年(1185年)5月1日に出家し、都近くの吉田という場所にある朽ちた僧坊で暮らしていました。
その僧坊は、去る1185年7月9日の大地震で、築地も崩れ、荒れた家屋がさらに傾き、どうあっても人が住むには頼りなくなりました。宮門を守る緑衣の監使もおらず、思うままに荒れた籬(まがき)は野辺の草原よりも露に濡れて、いつのまにか住みついた虫の声を恨む姿も哀れです。
それにつけても、夜が長くなり、建礼門院は、寝覚めがちになり、夜をもてあましていました。尽きせぬ思いに秋の哀れさが加わり、とても忍び難く思われました。昔とはすべてが変わってしまった浮き世なので、情けをかけてくれる昔の縁も枯れ果てて、世話をしてくれる人もいませんでした。
しかし、建礼門院の2人の妹、冷泉大納言隆房の北の方と、七条修理大夫信隆の北の方は、人目を忍びつつ、様子を見に来ていました。建礼門院は、「昔なら、この人たちに世話をされようとは、つゆほども考えなかったものを」と涙にくれて、建礼門院につき従っていた女房たちも皆、袖を濡らしました。
この吉田の朽ちた僧坊は、都に近くて、往来の人目にもつきがちなので、露の命が風に落ちてしまうこともあり、新古今集の西行の歌『しをりせでなほ山深く分け入らむうき事きかぬ所ありやと』のように、憂き事を聞かない深い山の奥へでも入りたいと思いましたが、そのような場所があるということも聞きませんでした。
そのような折、ある女房が吉田に来て、「ここから北の小原山の奥にある、寂光院という場所が静かです」と告げました。建礼門院は、古今集に『山里は物のさびしき事ことあれ世のうきよりは住みよがりけり』とあるように、「山里は物のさびしい事こそある場所ですが、憂き世よりは住みやすいかもしれません」と思いました。建礼門院の2人の妹の信隆と隆房の北の方が、輿を用意したとのことです。
文治元年(1185年)9月の末、建礼門院は、寂光院に入りました。
寂光院に向かう途中も、道すがら、四方の梢が色づく様子を見ながら過ごしましたが、山陰だからでしょうか、日もすでに暮れかかっていました。野寺の鐘の音が響き、掻き分ける草の露で袖が濡れ、風が強くて、木の葉が乱れ飛んでいました。曇り空で、いつの間にか日も落ちて、鹿の足音がかすかに響き、虫の声が聞こえなくなりました。あれこれと見聞きするもののすべてが心細く、例えようもありません。平家が西海の海を漂っていた時には、浦伝い、島伝いの暮らしも経験しましたが、さすがにここまでではなかったと思われたことは悲しいことです。寂光院は、岩に苔がむして、さびれた場所でしたので、建礼門院は、住むには良いと思いました。
露を結ぶ庭の荻原の霜も枯れ、籬(まがき)の菊の枯れ果てた色を見るにつけても、建礼門院は、自分の身の上のように思ったことでしょう。建礼門院は仏の前に座り、「天子聖霊、成等正覚、一門亡魂、頓証菩提」と祈りました。しかし、いつになっても忘れがたいのは安徳天皇の面影です。安徳天皇の面影は建礼門院にぴたりと寄り添い、どのような世へ行っても忘れられるとは思えませんでした。
建礼門院は、寂光院の傍らに、1丈(約3メートル)四方の庵室を作り、一間を仏間と定め、一間を寝室に設え、昼夜朝夕の勤めに、常時不断の念仏を怠ることなく、月日を送りました。
そのような暮らしを始め、文治元年(1185年)10月5日の暮れ方、建礼門院は、庭を埋めている楢の落ち葉を踏む音を聞きました。建礼門院は、大納言佐殿(平重衡北の方)へ、「世を厭う場所に、誰がきたのでしょう。見て来ておくれ。隠れなければならないのなら、すぐに隠れます」と告げました。大納言佐殿が見に出ると、小鹿の通る音でした。庵に戻った大納言佐殿に、建礼門院は「どうでした、どうでした」と尋ねました。大納言佐殿は涙を抑えて、詠みました。
岩根ふみ誰かは訪(と)はん楢の葉の
そよぐは鹿の渡るなりけり
建礼門院はその歌をあまりに哀れに思い、窓の小障子に書き留めておきました。
このような徒然の暮らしの中でも、思いを寄せることは、辛い中にもたくさんありました。例えば、軒に並べる植木を、極楽で7重に重なっている木々「七重宝樹」になぞらえたり、岩間にたまった水を、極楽にある八功徳を備えた池「八功徳水」にたとえたりしました。
無常は春の花のようで、風に従って散りやすく、有涯(うがい、かぎりある人生)は秋の月のようで、雲に隠れがちです。唐代の後宮・昭陽殿で花をもてあそんだ朝は、風が来て匂いを散らし、漢代の後宮・長秋宮に月を詠んだ夕べは、雲が光を隠しました。昔は、玉でつくった楼の宮殿に錦の寝具を敷き、比類ない住まいに住んでいましたが、今は、柴が引き結ぶ草の庵で、よそ目にも袂を濡らします。
(2012年2月16日)
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