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ミニシアター通信平家物語 > (227)源義仲の右筆・覚明

(227)源義仲の右筆・覚明

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登場人物:源義仲、覚明(信救)

 平家は砥浪山の猿の馬場に陣を張り、源義仲は砥浪山の北のはずれの埴生に陣を張りました。

 義仲が四方を見渡すと、夏山の峯の緑の間から、朱塗りの神社の垣が見え、神社の屋根の千木の端を片方へそぎた「片そぎ造り」の社がありました。前には鳥居もあります。

 義仲は、土地に詳しい者を呼び、「あれはなんという社だ。どの神をまつっているのだ」と尋ねました。返事は、「あれこそ、八幡宮です。場所もちょうど、男山八幡宮の御領地です」。

 義仲はたいへん喜び、祐筆として連れている大夫坊・覚明を呼び、「義仲が意図せずして軍を進めていたら、幸せなことに、新八幡宮の御前に近づき、合戦をしようとしていた。それなら、後代のため、ただ今の祈祷のため、願書を一筆、書いて奉納しようと思うがどうか」と問いました。

 覚明は、「その儀、もっともです。奉納すべきです」と願書をしたためるため、馬から下りました。

 覚明のその日の出で立ちは、褐色の鎧直垂に、黒糸威の鎧を着て、漆黒の太刀を帯び、24本指した、鷲のほろ羽ではいだ黒い矢を背負い、塗籠藤の弓を脇に挟み、甲を脱いで高紐に掛けていました。覚明は、えびらの箱から小硯、畳紙を取り出し、義仲の前に畏まり、願書を書きました。その姿は、天晴れ文武両道の達人かな、と映りました。

 この覚明という僧は、もとは、儒家の者。蔵人道広といって、藤原氏の学問所・勧学院で学んでいました。出家の後は、最乗坊・信救と名乗っていました。南都にも通っており、以仁親王が園城寺三井寺に入り奈良興福寺へ廻らし文を出したさい、南都の大衆は何を思ったか、この覚明に、返状をしたためさせました。覚明は、「そもそも平清盛は、平家のぬかかす、武家の塵芥(ごみ)」と書きました。清盛は、「信救めが。いかようにも書き様はあるのに、この清盛を、平家のぬかかす、武家の塵芥(ごみ)と書きよった。けしからん。急ぎ信救をからめ捕り、死罪にせよ」と激怒したので、覚明は南都にはいられなくなり、北国へ落ち延びました。義仲の右筆として覚明と名乗りました。

(2011年12月26日)


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