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(216)藤原基房、藤原師長、源資賢の帰洛

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登場人物:貞能、藤原基房、藤原師長、源資賢、賀王恩(雅楽)、還城楽(雅楽)、秋風楽(雅楽)

 治承5年(1181年)7月14日、改元があり、養和と号しました。

 その日、除目があり、筑後の守・貞能が肥後の守になり、筑前と肥後の両国を与えられ、鎮西(九州)の謀反を平定するため、3000騎で、都から鎮西へ出発しました。

 また、その日、特別の大赦があり、去る治承3年(1179年)に流された人が皆、都へ戻りました。入道松殿・藤原基房は備前の国から都へ帰りました。妙音院太政大臣殿・藤原師長は尾張から上洛しました。按察使の大納言・源資賢は、信濃の国から帰洛すると言われました。

 同じく養和元年(1181年)7月の28日、藤原師長が後白河法皇の法住寺殿に参院しました。去る長寛2年6月27日の帰洛では御前の簀子で、唐の太宗が父太祖の美徳を称賛するためにつくったという雅楽「賀王恩」と、「還城楽」を弾きましたが、今後は、院の御所で、「秋風楽」を弾きました。どの曲も機を得た風情があります。心ばせが美しいのでしょう。

 源資賢も、同じ日に参院しました。後白河法皇は謁見し、「どうしていた、どうしていた。この頃は、鄙(ひな)の住まいで、催馬楽・風俗・朗詠・今様などの「えい曲」も、今はまったく跡形もなく思えるが、先ず、今様を一つ、やってくれ」と言いました。

 源資賢は拍子をとって、「信濃にあんなる木曽路河」という今様を、正しい物を見聞きしてきたので、「信濃にありし木曽路河」と正しく歌いました。遠流の時をへての手柄でした。

(2011年12月23日)


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