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ミニシアター通信平家物語 > (93)平清盛と静憲法印の問答、その1

(93)平清盛と静憲法印の問答、その1

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 後白河法皇の意を受けて西八条へ来た静憲法印ですが、清盛は面会しようとせず、静憲法印は朝から夕方になるまで待たされました。しかし、何の音沙汰もありませんでした。

 静憲法印は、このような様子なら待っていても無駄だと思い、大夫判官・源季貞へ、後白河法皇の意を託し、「いとまごいをします」と言って屋敷を出ました。ちょうどその時、清盛から「法印を呼べ」という指示があり、静憲法印は呼び返されました。

 清盛は、静憲法印に言いました。

「やい、法印の坊。浄海(清盛の出家名)の言う事は間違っているか。まず、内大臣・平重盛が身まかったことについて。清盛は、平家の運命を鑑み、悲涙にくれることを随分と我慢し、今日まで過ごした。お前の心でも、想像できるだろう。保元の乱以後、戦乱が続き、君の心も安まることがなかったが、清盛はただ、大局を見るだけだった。重盛こそ、手を下し、身を砕いて、度々の天子のお怒りを鎮めていたのだ。その他にも、臨時の大事、朝夕の政務にと、重盛ほどの功臣はいなかったと存ずる」

「故事をひも解けば、唐の太宗は、臣下・魏徴(ぎちょう)に先立たれて、悲しみのあまり、『昔の殷宗(殷の高宗・武丁)は夢の中に良弼(りょうひつ・良い補佐官)を得、今の朕は覚めてののち賢臣を失う』と自ら碑文を書き、廟を建てて悲しんだ。わが朝でも、同じことはあるぞ。民部卿・顕頼が逝去した折、故鳥羽院はことのほかお嘆きになり、八幡神社への御幸を延期され、御遊びもしなかった。代々の帝は皆、すべて臣下の逝去を、お嘆きになったのだ」

「それなのに、重盛の喪中、(高倉天皇が8月27日に)八幡神社への御幸があり、管弦のなどの遊びもあった。お嘆きの様子は、どこにもない。たとえ重盛の忠義を忘れたとしても、なぜ、清盛の悲しみを、憐れんでくれないのだ。また、たとえ清盛の悲しみを憐れむことなくとも、なぜ、重盛の忠義をお忘れになるのか。父子そろって御意に背いていたとは、今に至って面目を失った。これが一つだ」

「次に越前の国(福井県)は子々孫々まで改変あるまじき約束で賜ったのに、重盛が死んでから召し返されたのは、いかなる過失によることか。これも一つ」

「次に、中納言定員10名に欠員があった際、二位の中将・藤原基通(清盛の娘婿)がしきりにほしがり、清盛も随分と取りなしをしたにもかかわらず、ついにご承知なく、関白・藤原基房の三男、藤原師家を任命したことはいかなることか。例え、清盛がどのような不合理を言ったとしても、一度は聞き入れてくれるべきだ。藤原基通は官位といい、家柄といい、申し分もないのに、中納言の任命を引き違えるとは、あまりにつれない計らいと存ずる。これが一つだ」

(2011年11月8日)


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