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(95)藤原基房の遠流

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 静憲法印は、院に戻り、後白河法皇に平清盛の言い分を伝えました。後白河法皇は、もっともだとしながらも、それ以上は何も言いませんでした。

 同じく治承3年(1179年)11月の16日、平清盛は、近ごろ思っていたことなので、関白・藤原基房をはじめ、太政大臣・藤原師長以下、公卿殿上人43人の官職を停止し、押し込めました。

 中でも、関白・藤原基房は、太宰帥(そつ、太宰府長官)に左遷して、九州へ流されるといわれました。

 基房は、「このような世には、とてもいられない」と、洛南下鳥羽の西、羽束師の古川である「故川」という場所で出家しました。御年35歳。世の人々は「礼儀をよくわきまえ、曇りのない鏡のような人を」と、大いに嘆きました。

 遠流になった人が道中で出家した際は、配流地へは遣られないことになっていました。基房の遠流地は日向の国(宮崎県)と定められていましたが、備前の国(岡山県)の国府の辺りの湯迫(いばさま)という地に留め置かれました。

 大臣流罪の先例は、

左大臣・蘇我赤兄
右大臣・藤原豊成
左大臣・藤原魚名
右大臣・藤原道真、恐れ多くも今の北野天神
左大臣・源高明
内大臣・藤原伊周

 にいたるまで、すでに6人あります。しかしながら、摂政・関白の流罪は、藤原基房が初めてといいます。

(2011年11月8日)

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