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そのようにしているほどに、鬼界が島の流人たちは、2人が召し戻され都へ帰りました。今、俊寛一人だけ残り、島守となっているのは残念なことです。
その俊寛なのですが、幼いころから身の回りの世話をさせるために召し使っていた童子がいました。名前を、有王といいます。
有王は、鬼界が島の流人たちが今日にも都へ戻ってくると聞きました。有王は、鳥羽まで出向いて見ていましたが、主人の姿はありません。「どうしたことでしょう」と人に尋ねると、「それは、なお罪が深いと、1人で島に残されています」とのこと。悲しいなどのことではありませんでした。
それから、有王は、常に六波羅周辺で待っていて話を聞いていましたが、俊寛の赦免がいつあるとも聞き出すことができませんでした。
有王は、俊寛の娘が隠れ住んでいる場所へ行きました。有王は、「今回の赦免の機会にも洩れ、都へ戻ってきませんでした。かくなるうえは、なんとしても鬼界が島へ渡り、様子を聞いてきたいと思います。文を承って、向かいたいと思います」と告げました。
俊寛の娘の姫は、たいへんよろこびました。やがて、文を書いて有王に渡しました。
有王は、暇を乞うても許されないだろうから、父にも母にも知らせず、唐行きの船は4月や5月に出航するので、夏では遅いと思い、3月の末に都を発って、たくさんの波路を超え、薩摩方へ下りました。
薩摩から鬼界が島へ渡る船着き場では、有王は怪しまれ、着ていた物をはぎ取られたりなどしました。しかし、有王は少しも後悔せず、また、姫御前の文だけは、誰にも見せまいと、元結いの中に隠していました。
(2011年11月1日)
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