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ミニシアター通信平家物語 > (71)平重盛の見舞い、平清盛の狼狽

(71)平重盛の見舞い、平清盛の狼狽

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 平重盛は、例によって、良きにしろ、悪しきにしろ、騒がぬ人でしたので、ずいぶんと時間がたってから、嫡子の権亮(ごんのすけ)少将・平維盛(これもり)以下の君達の車を引き連れて、御衣40領、銀剣7ふりを広蓋に載せ、12頭の馬に引かせて参上しました。これは、寛弘(1004年-1012年)のころに、一条天皇の后で藤原道長の娘である上東門院のお産の時に御堂関白・藤原道長が御馬を献上した例に習ったといわれました。重盛は建礼門院の兄であり、とりわけ、父子の契もありましたので、御馬を献上することは道理でした。また、五条大納言の邦綱卿も御馬2頭を献上しました。「志が至っていたためか、徳が行き届いていたためか」と人々はうわさしました。

 ほか、平家は、伊勢をはじめ、安芸の厳島に至るまで、70余か所へ神馬を献上しました。内裏からも、寮の御馬に飾りをつけて数10頭が献上されました。仁和寺の御室守・覚法親王は「孔雀経の法」、天台座主・覚快法親王は、除病延命・産生安穏・天変地異などの災難の為に七仏薬師を同時に供養する天台宗の大法である「七仏薬師の法」、三井寺の長老・円慶法親王は「金剛童子の法」、そのほか、「五大虚空蔵」、「六観音」、金輪仏頂尊を本尊とする法「一字金輪」、「五壇の法」、六観音を本尊として調伏と息災を祈念する法「六字河臨」、文殊菩薩を本尊として修する法「八字文殊」、普賢延命菩薩を本尊として延命の為に修する法「普賢延命」に至るまで、残すところなく、修められました。護摩の煙が御所中に満ち、金剛鈴の音が雲まで響き、修法の声に身の毛が立ち、どんな物の怪も、面をあげることができないほどと見えました。そのうえなお、仏所の法印に命じて、建礼門院と等身の薬師像ならびに、不動・降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉の五大尊の像を作り始めました。

 それほどであったとしても、建礼門院は絶えず陣痛を訴え、お産もなかなか進みません。平清盛と、清盛の妻で建礼門院の母である二位殿・平時子は、胸に手を当てて、「どうしよう、どうしよう」と途方に暮れました。人々があれこれと伺いを立てても、「ただ、とにかく、よきように、よきように」と言うばかりでした。清盛は後に、「あわれ清盛、これが戦の陣なら、どうあろうともそれほどまで臆することはなかったものを」と言いました。

(2011年10月27日)


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