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(70)建礼門院の産気

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 そうしている間に、治承2年(1178年)11月12日の寅の刻(午前4時ころ)から、建礼門院の産気が増し、京じゅう、六波羅じゅうが、ひしめきあいました。

 建礼門院の後産所は、平忠盛の五男で、清盛、教盛らの弟である六波羅池殿・頼盛の屋敷でした。頼盛の屋敷には、後白河法皇も御幸しました。関白藤原基房はじめ、太政大臣以下の公卿や殿上人、世に数えられる者、昇官を臨む者、知行官職を得ている者は、一人も漏れず参上しました。

 先例にも、女御・后出産の折には、大赦がありました。大治2年(1127年)9月1日、鳥羽天皇の皇后で、崇徳・後白河天皇の母である待賢門院のお産の折、大赦が行われました。今回も、その例にならい、特別な大赦が行われ、重科の輩が多く赦されました。その中で、俊寛一人、赦免がなかったことは哀れでした。

 建礼門院は、安産・皇子誕生の折には石清水八幡宮・平野神社・大原野神社などへ行啓(ぎょうけい)すると立願し、全玄法印が願いを承り、謹んで申し上げる敬白(けいびゃく)をしました。神社は大神宮をはじめ、20余個所、寺は東大寺・興福寺以下16個所で御誦経がありました。御誦経の使者は、建礼門院の侍の中で別に本官がある者が務めました。三色で紋を染めた狩衣に帯剣した者たちが、様々な御誦経物、御剣、御衣などを持ち、東の対の屋から南庭を渡って、西の中門に出て行きました。まことにめでたい風景でした。

(2011年10月27日)


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