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参議・平教盛は、死霊や生霊の話をうわさに聞き、甥・平重盛に、言いました。
「このたびの建礼門院のお産の祈りはさまざまだが、何と言おうとも、赦免に勝るものはないと思う。中でも、鬼界が島の流人たちを召し返したら、功徳膳根はたいへんなものではないだろうか」
平重盛は、父・清盛のもとへ行き、告げました。
「鬼界が島に流した丹波守・近衛少将藤原成経のことを、門脇の宰相・教盛殿があまりに嘆き、不憫です。ことさら、いまは、建礼門院が苦しんでいる様子を伝え聞くに、藤原成親卿の死霊がとりついているといいます。新大納言・藤原成親卿の死霊をなだめるには、生きている息子の成経殿を召し返しなされ。死霊・生霊どもの呪いをやめさせれば、人々の思いも遂げられ、人々の願いがかなえば、祈願も成就し、無事に皇子が生まれ、平家の栄華もますますのものとなりましょう」
平清盛は、いつもと違ってすなおに聞き入れました。そして、言いました。
「それでは、俊寛と康頼はどうしよう」
重盛は、「2人も同じく召し返しなさいませ。もし、1人だけ残るようなことがあれば、ことさらに罪深きことです」と告げました。
しかし、清盛は、「康頼のことはよいとしても、俊寛は、この清盛が随分と取り成しをしてやって、ようやく一人前に成れたのだぞ。そのうえ、場所はいくらでもあるのに、東山の鹿の谷にある自分の山荘を密会の場所に提供して、ふとどきな振る舞いをしたという。俊寛は許しがたい」と告げました。
平重盛は屋敷へ戻り、叔父・教盛を呼びました。重盛は「藤原成経は、はや赦免がかないました。ご安心ください」と教盛に告げました。
教盛は、聞き終わらぬうちに、泣きながら手を合わせて、よろこびました。「鬼界が島に流されたときに、これほどのことをどうして請け負ってくださらないのですかと、成経が教盛を見るたびに涙を流していたことが不憫だ」と言いました。
重盛は、「まことにおっしゃる通り。子はだれでもかわいいもの。清盛殿にもよくよく念を押しておきましょう」と行って、奥へ戻っていきました。
そうして、鬼界が島の流人たちが召し返されることが決まり、清盛が、赦し文を書きました。
(2011年10月17日)
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