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清盛の言葉を聞いて、主馬署の長官にして検非違使を兼ねた平盛国が、小松谷にある平重盛の屋敷・小松殿へ駆け付け、「一大事でございます」と報告した。
重盛は、盛国の言葉を待たず、「ああ、すでに成親殿の首をはねたか」と言うと、盛国は「それはございません。清盛殿は鎧を身に着け、そのうえ、侍どもが皆、いきりたっています。いまにも、院の御所・法住寺殿へ攻め入るために出発する気配。しばらく世を静めようと、後白河法皇を鳥羽の北殿へ移すか、もしくは、ここへ御幸させようといいますが、ゆくゆくは、鎮西の方(九州)へ流すなどのおつもりかと」と答えました。
重盛は、そのようなことはよもやしないだろうとは思うものの、今朝の清盛の剣幕ならそのような狂ったこともやりかねないと、急ぎ車を飛ばして、西八条殿へ出向きました。
門前で車から降り、門の中へ入って眺めると、清盛が鎧を腹に巻いているうえ、一門や殿上人など数十人が、色さまざまな直垂をつけ、それぞれの鎧をまとい、中門の廊下に2列になって着座していました。
そのほかにも、諸国の国司、六衛府の者、諸役人たちが縁に入りきらず、庭にもたむろしていました。旗竿をそばへ引き寄せて、馬の腹帯を固め、甲の緒を締めて、いまにも出立せんが気配のところに、烏帽子直衣姿の重盛が、大きな紋様が織りだされた指貫袴の端をつかんで、衣ずれの音を静かに響かせながら入ってきた光景は、ことのほか異様なものでした。
(2011年10月13日)
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