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源季貞は平清盛のもとへ行き、「宰相・平教盛殿はもはや腹を据えておられます。ここは、よきように計らうべきかと」と伝えると、清盛は「いやはや出家入道とまでは思いつめたものだ。そうまでいうなら、成経をしばらく教盛に預けると伝えよ」と命じました。
季貞は、教盛に、清盛の言葉を伝えました。教盛は「ああ、人の子は持つべきではない。わが子の縁に結ばれなければ、これほどまでに心をくだくこともなかろうに」と言って屋敷を出ました。
待ち受けていた藤原成経が「さあ、どうでしたか」と問うと、教盛は「清盛殿はあまりに怒って、教盛とついに対面すらしなかった。どうであろうとも聞き入れがたいとの仰せだった。しかし、教盛が出家入道するとまで申し伝えるにいたり、それならば、あなたをしばらく教盛に預けると言ってくれた。しかし、それもいつまでも続くとは思えない」と答えました。
成経は、「さてはこの成経は、ご恩をもってしばらく生きながらえたということですね。それにしても、父の大納言・成親については、何と申しておりましたか」と聞きました。
教盛は、「いやはや、あなたのことだけでせいいっぱいで、成親殿のことまでは思い及ばなかった」と答えました。
成経は、涙をはらはらと流して、「命が惜しくあるのも、父と今一度会いたいと思うためです。夕方、父が斬られたのちは、成経が命を長らえてどうなるでしょう。かくなるうえは、同じ場所でいかようにもなさるよう申し伝えてください」と言いました。
教盛は、世にも辛そうに、「いやはや、あなたのことだけでせいいっぱいで、成親殿のことまでは思い及ばなかったのだが、今朝、内大臣・平重盛がさまざまに申していたので、成親殿のこともしばらくは安心してよいと聞いている」と告げました。
成経は、最後まで聞くことができず、泣きながら手を合わせてよろこびました。ほんとうの子どもでない者が、誰がわが身を差し置いてこれ程までに喜ぶでしょう。まことの情愛は、ほんとうの親子の間にこそあるものです。さきほどは子どもなど持つべきではないと思った教盛でしたが、思いかえしました。
そのようにして、今朝出発した時と同じように、ひとつの車に乗って、成経と教盛が戻ると、女房、侍たちが待っていた屋敷では、死んだ人が生き返った心地がして、みな、よろこびに泣きました。
(2011年10月12日)
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