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ミニシアター通信平家物語 > (28)西光の最期

(28)西光の最期

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 そうこうしているうちに、近江中将で僧の蓮浄、法勝寺執行の僧都・俊寛、山城守の基兼、式部大輔・正綱、判官・平康頼、判官・信房、新判官・平資行も捕らえられてきました。

 西光は、もともと剛胆な者だったので、少しも顔色を変えず、悪びれた気配を見せませんでした。居直り、平清盛をあざ笑いながら、はばかることなく、言い散らしました。

「院中にて法皇の近くに召し仕える身なので、執務を取り仕切る別当の藤原成親卿が軍兵を集めるこに参与していないとはいわない。それは、かかわった。しかし、なんと耳に聞こえの悪いことを言うかな。他人のことは知らないが、西光が聞いたところでは、そのようなことを言ったことなどない。そもそも、貴殿は、故・刑部卿平忠盛の嫡子でありながら、14、5までは朝廷への出仕もせず、故・中御門中納言、藤原家定卿の家に出入りをしたのにさえ、京童たちは、例の高平太(高下駄を履いた平家の太郎)よと笑っていた。しかるに、保延のころ、海賊の首謀者30人余りを捕獲して連行した恩賞として四位に叙任され、四位の兵衛佐(ひょうえのすけ)と申したのでさえ、都の人々はみな過分なことよと言い合っていたのだ。殿上の交わりをさえ嫌われた人の子孫であるにもかかわらず、今、太政大臣にまで成り上がったのは過分なことだ。もとより侍の身分の者が、受領や検非違使に成ることは、先例にも、慣例にもないわけではない。しかし、お前の出世は過分だ」

 平清盛はあまりに腹にすえかねて、しばらくは言葉を発しませんでした。しばらくして、清盛は「そいつの首は簡単に切るな。十分に詰問して、ことの子細を問いただし、その後は、賀茂の河原へ引き立てて、首をはねよ」と命じました。

 松浦太郎重俊が清盛の命を承り、手足を固定して、さまざまに痛めつけながら、問いただしました。西光ははじめから口をわらなかったので、拷問は厳しく行われました。

 西光の自白は、白状4、5枚に記載され、その後、口を裂けというので口を裂き、五条朱雀大路の西で、とうとう斬られました。

 西光の嫡子で加賀守・師高は、尾張の井戸田へ流されていましたが、尾張の国の住人・小熊の郡司維季(これすえ)に命じて討たせました。

 西光の次男の近藤判官師経(もろつね)は獄から引き出され、殺されました。師経の弟で左右衛門尉・師平(もろひら)と、郎党3人も同じく首をはねられました。

 これらの者は皆、不相応に出世し、言うべきでないことばかりを口にし、罪のない天台座主を流罪にし、ついに果報も尽きて、山王大師の神罰・冥罰をこうむり、このような憂き目に遭ったのでした。

(2011年10月11日)


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