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平清盛は、すぐに無職の雑人たちを、中御門烏丸の新大納言・藤原成親の屋敷に使わして、「おいで下さい。相談したいことがあります」と告げさせました。
藤原成親は、わが身の上のこととはつゆ知らず、「おいたわしい。後白河法皇が延暦寺をお攻めになるご決断をくだされたのだなあ。おなだめしなければならない。しかし、法皇の憤りはさぞ深いことだろう。どのように申し上げても、お聞き入れにはならないだろう」と、清らかな狩衣を着こなし、色鮮やかな牛車に乗り、3、4人の侍を召し連れ、雑人や、車引きにいたるまで、いつもよりもよけいに着飾らせました。しかし、まさに、これが最後とはあとになって知ったことでした。
平清盛の屋敷がある西八条近くになると、4町にも、5町にも、軍兵が満ちていました。成親は、「なんとおびただしい数であることよ。これは何ごとなのだろう」と胸騒ぎがしました。しかし、平清盛の屋敷の門前で車から降り、中へ入りました。すると、そこにも兵士たちがひしめき合っていました。
中門の口には、強面の者どもが多数待ち受けていました。藤原成親を引っ立てて、「ひきしばりました」と告げると、清盛が御簾から顔を出し「そうか」と答えました。
侍たち14、5人が成親の前後左右を立ち囲み、成親の手を取って、縁の上へ引き上げました。成親を狭い部屋へ押し込めてしまいました。
成親は、夢見心地がして、何が起きたのかもわかりませんでした。供をしていた成親の侍たちは大勢に隔てられ、散り散りになってしまい、雑人や車引きたちは顔色を変え、牛車を捨てて、皆、逃げ去ってしまいました。
(2011年10月10日)
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