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(24)多田行綱の裏切り

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 新大納言・藤原成親はそのようなことがあった間、平家打倒の企てを一時、抑えていました。内々の相談や支度はさまざまに進めていますが、見せかけの勢いばかりで、この企てはとても成功しないとも思われました。頼みにされていた、摂津守・源頼盛の子で摂津国多田の庄に住む多田行綱も、平家打倒の企てなどとても無理だと思うに至っており、軍備にと送られていた布を直垂、帷子に仕立ててしまい、一族郎党に着せ、目をしばたたかせていました。多田行綱は、「平家の今日の栄華を見るにつけ、打倒などたやすくできるものではない。もし打倒計画がもれるようなことになれば、自分がまず命を失うことになる。他人の口からもれる前に、自分から寝返って、命を繋ごうという心に至りました。

 治承元年(1177年)5月29日、小夜がふけたころ、行綱は、平清盛が住む西八条の邸へ行き、「行綱が申し上げることがあり、参上しました」と告げ、門をくぐりました。清盛は「いつもは来ない者の参上とは何事だ。聞いてこい」と、主馬判官の盛国を行かせました。

 行綱が「とても人伝てには言えないことがあります」と伝えると、清盛が「それならば」と自ら中門の廊下に出ました。清盛が「夜はすでにふけているというのに、この時分、何事か」とただしました。

 行綱は「昼間は人目があるので、夜にまぎれて参りました。このたび、院の中の人々が兵具を整え、軍兵を集めていることをどのように思われますか」と告げました。

 清盛は「ぜひもない、後白河法皇が山門をお攻めになる計画と思っておる」と、なにごともないように口にしました。

 行綱は、清盛に近づき、小声で、「それではございません。当家を攻めるおつもりとお考えください」と告げました。

 清盛が「それは、後白河法皇も知ってのことか」と問えば、行綱は「存じております。院中の事務を統括する別当の藤原成親卿が軍兵を集めたのも、院宣をもってしたこと」と答え、康頼がなんと言い、俊寛が何を口にし、西光が何をしているのかなど、実際よりも大げさに言い散らし、自分は抜けてきましたと告げました。

 清盛は、大声で侍どもを呼び集め、たきつけました。密告した行綱は、証人に引き出されることの恐ろしさに、誰も追いもしないのに、袴の股立をとりはずし、大きな野原に火を放った気がしながら、急いで門の外へ逃げました。

(2011年10月8日)

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