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(16)大火災

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 平家物語の「巻の一」は、師高と師経が処罰されたのと同じ安元三年(一一七七年)四月に起きた大火災の様子を伝えて終わります。

 四月二十八日の戌の刻(午後十時)ころに、樋口通りと富小路通りの合わさるあたりから出火しました。東南の風にあおられた炎は、車輪のごとくに天に巻き上げられて、三町五町を飛び越えて西北に焼け広がっていったそうです。具平親王の千種殿、北野天神の紅梅殿、橘逸勢の蠅松殿、鬼殿、高松殿、鴨居殿、東三條殿、藤原冬嗣の閑院殿、昭宣公の堀川殿をはじめ、今昔の名所三十個所あまり、公卿の家も十六個所が焼け落ちました。殿上人、尊家に仕える四位五位の大夫たちの家々は記すことができないほどの被害でした。やがて炎は、内裏に至りました。朱雀門をはじめに、応天門、会昌門、大極殿、天子宴会の場である豊楽院、諸司八省、公卿たちが会食をとる朝所など、一瞬のうちに、みな灰燼の地となりました。家々の日記、代々の文書、七珍萬宝は、みな灰と化しました。平家物語の語り手は「その間の弊(ついえ)いか計りぞ」と感慨していました。焼け死んだ人は数百人におよび、牛馬の数は知れないほどでした。今回の大火災はただ事ではありません。山王の咎めとして、比叡山より下りてきた二、三千匹の大猿の群れが、松明を振り回しながら京じゅうを焼き払う夢を見た人もいました。

 大極殿は、清和天皇の時代、貞観十八年(八七六年)にはじめて焼けました。翌年に行われた正月三日の陽成院の即位は豊楽院で行われました。焼失した翌年、元慶元年(八七七年)四月九日に施工されて、元慶二年(八七八年)十月八日に落成しました。後冷泉院の時代、天喜五年(一〇五七年)二月二十六日に再び焼け落ちました。治暦四年(一〇六八年)八月十四日に施工されましたが、落成を見ずに、後冷泉院は崩御しました。後三条院の時代、延久四年(一〇七二年)四月十五日に落成します。文人たちが詩を奉げて、楽人たちが音楽を奏でて、盛大に祝いました。今は世も末となり、国力も一様に衰えているので、その後は、ついに再建されませんでした。

(2007年6月23日)


(17)「巻の一」のあらすじ

(18)天台座主・明雲

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