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(389)建礼門院

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登場人物:建礼門院・平徳子、印誓上人

 12巻ならなる「平家物語」の本編は、平清盛の嫡孫である平維盛の嫡子・六代御前(三位禅師)が切られることで終わります。栄華を極めた平清盛の一族は、永久に滅亡しました。

 「灌頂の巻」は、本編に付け加えられた短い巻です。壇の浦の戦いで平家が敗北した後、清盛と二位の尼(平時子)の間の娘・平徳子(建礼門院、安徳天皇の母)が出家し、大原で隠遁生活を送っていました。そこに、後白河法皇が尋ねてきます。そして建礼門院が他界する、という短い巻です。

 しかし、激動の源平の争乱が語られた後に添えられたこの短い「灌頂の巻」にこそ、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる「平家物語」の根底に流れる心が凝縮されているのかもしれません。

建礼門院

 建礼門院(平徳子、平清盛の娘、高倉天皇の后、安徳天皇の母)は、東山のふもとの吉田という辺りに、立ち入りました。そこは、中納言法印・慶慧(きょうえ)という奈良の法師の坊でした。住み荒してから久しくなっていましのたで、庭は草深く、軒には葱が茂っていました。御簾はなくなり、寝床があらわになり、雨風をしのぶ術がありません。花は様々ににおいますが、主と仰ぐ人はなく、夜は月明かりがさしこみますが、眺めて暮らす人はいません。

 建礼門院はかつて、玉が磨かれた寝台に寝て、錦の帳(かや)をまとって暮らしていました。今は、共に栄華を極めた時代を過ごした人たちとことごとく別れ、このようなみすぼらしい朽ちた坊に入りました。その心は、陸に上がった魚や、巣を離れた鳥のようで、推し量られて哀れです。それにつけても、憂き目に遭った波の上や、船の中での暮らしも、今は恋しくすら思われました。『蒼波路通し』と言われますが、思いを西海千里の雲に寄せ、白い茅でふいた粗末な家は苔が深く、涙が、ここ東山の朽ちた家屋の庭に落ちます。測りがたい、悲しさです。

 文治元年(1185年)5月1日、このようにして、建礼門院は、髪の毛を落としました。戒律の師は長楽寺の阿証坊上人・印誓と言われました。お布施として、建礼門院は、安徳天皇の直衣を渡しました。安徳天皇が二位の尼に抱かれて入水するときまでつけていた直衣で、移り香もいまだ消えていないのですが、建礼門院が安徳天皇の形見にと西国から都まで持ってきたものでした。なので、どこまでも肌身離さず持っていようと思っていましたが、お布施になるものがほかにありませんので、また、安徳天皇の菩提を弔うためにもと、泣く、泣く、取り出しました。印誓上人は直衣を受け取り、何といえばよいのかわからず、黒衣の袖に顔を押し当て、泣く、泣く、御前から退出しました。印誓は、安徳天皇の直衣を、旗に縫いつけて、長楽寺の仏前にかけたといいます。

 建礼門院は、15歳で女御の宣旨を受け、16歳で高倉天皇の后になりました。高倉天皇の側に仕え、昼には政務に務め、夜には寵愛を一身に集めました。22歳の時に安徳天皇を生み、安徳天皇が皇太子に立ちました。院号を賜り、建礼門院と呼ばれました。平清盛の娘である上、安徳天皇の国母なので、世に重んじられることは比類ありませんでした。今年で29歳になります。桃李の装いはなお細やかで、蓮花のような姿もいまだ衰えていません。しかし、かわせみの羽のような美しい髪の毛も今は何の役にもたたないと、浮き世を厭い、仏の道に入りました。しかし、嘆きはまったく絶えることがありませんでした。

 建礼門院には、安徳天皇と、安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位の尼の姿が離れず、どのような世になっても忘れることはないと思われ、露のような自分の命も今は何のために長らえているのだろうと、涙がとまりません。五月の短夜ですが、なすこともなく、まどろむこともできず、昔のことを夢に見ることもありません。壁に残る明かりのかすかな影に、夜通し窓を打つ暗い雨の音が冷たく響きます。楊貴妃に寵愛を奪われた後宮の姫たちが上陽宮に押しこめられた悲しみも、建礼門院の悲しみには勝らないと思われます。

 古今集に詠われた『五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする』(読み人知らず)ではありませんが、昔をしのぶことができればと以前に住んでいた人が移し植えたものでしょうか、花橘があり、その花橘をそよぐ風もどこかなつかしく感じられ、建礼門院は軒近くにいましたが、山ホトトギスの音信が2声、3声、過ぎていきました。建礼門院は古歌を思い出しながら、すずりのふたに書きとめました。

  ほととぎす花たちばなの香をとめて

    鳴くは昔の人ぞこひしき

 平家の女房達は、二位の尼や越前三位(平通盛妻)のようにすべてが猛くも水の底に沈んだわけではありませんので、中には荒武者に引き上げられた女房もおり、京都へ連れて行かれ、ある者は尼になり、別の者は身をやつし、たよりないまま、思いもよらなかった谷の奥や、洞窟などで、暮らしていました。かつて住んでいた場所はすべて煙となって、空しい跡だけが残り、草が生え茂る野原となり、懇意の人たちが尋ねてくることもありません。仙人の住み家から帰ると7代先の子孫に会った故事の様子も、このようなものだろうと思えて、哀れです。

(2012年2月16日)


(390)建礼門院の大原入御

(391)後白河法皇の大原御幸

(392)高階通憲(信西)の娘


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