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(380)吉田経房

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登場人物:源頼朝、後白河法皇、吉田経房、勘解由小路長方

 平家を滅ぼし、弟の源義経を追放した源頼朝は、朝廷へ、頼朝を「日本国の総追捕使」とし、田一段ごとに兵糧米を割り当てるよう、申し出ました。

 後白河法皇は、諸卿一同に告げました。

「昔から朝敵を平らげた者には、半国を与えるという例は『無量義経』巻の十にある。しかし、頼朝がいうようなことは例がない。これは頼朝の過分の申し出だ」

 しかし、公卿詮議があり、「頼朝卿の申し出にも、半ば道理がある」と一堂が言うので、後白河法皇は力及ばず、頼朝の申し出を受けました。

 諸国に守護が置かれ、荘園に地頭が任ぜられました。そうなると、少しばかりの土地も隠れようがありませんでした。

 頼朝はこの改革を、公家にもたくさんの人材がいましたが、大納言・吉田経房に命じました。

 この吉田経房は厳格な人として有名でした。その理由は、平家と懇意にしていた人々も、源氏の世になったら、ある者は文を出し、別の者は使者を立てるなどして、頼朝にへつらってきましたが、吉田経房はそれをしませんでした。そのように厳格な人だったので、平家の時代に後白河法皇を都の南の鳥羽離宮に幽閉した折にも、吉田経房と、もう1人、中納言の勘解由小路長方の2人が、新たに置かれた後院の長官に任ぜられました。

 吉田経房は、藤原光房の子でした。12歳のときに光房が死に孤児となりましたが、昇進は留まらず、五位の蔵人・廷尉佐・弁官の三要職を兼任し、蔵人頭をへて、参議、大弁、大宰府長官、大納言へと出世しました。人を越したことはありますが、越されたことがありません。人の善悪は、例えば嚢中の錐がおのずからあらわれるように、隠されるものではなく、まことに得難い大納言といえます。

(2012年2月13日)


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