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(377)静御前

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登場人物:源義経、土佐房昌俊、静御前、磯禅師、伊勢義盛、佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶

 源義経は、磯禅師(いそのぜんじ)という白拍子(舞子、遊女)の静という娘を寵愛していました。静も、片時も義経の側を離れませんでした。

 その夜、静が、「大路に武者が満ちています。義経様からの命令がないのに、これほど大番衆が騒ぐのは、きっと、昼の起請法師のしわざです。人を出して、見てこさせます」と、召し使っていた3、4人の故平清盛に使われていた禿(かぶろ、かむろ)から2人を物見に出しました。しかし、時間がたっても戻りません。女なら怪しまれないと、召使の女を一人、出しました。すぐに走って戻り、「禿童と思われる者の死体が2つ、土佐房の宿所の門の前に倒れていました。門の前に、鞍を置いた馬がたくさんつながれ、中庭には、鎧を着て、甲の緒をしめ、矢を背負い、弓を張り、ただ今、攻め寄せんと出発する様子。寺社参詣の様子など、微塵もございません」と告げました。

 義経は、「そらなら」と太刀を持って立ちあがると、静が、着背長を義経の背中にかけました。義経はひもを結んだだけで出て、馬に鞍を置かせ、寝殿と総門の間の入り口である中門の前に引かせました。義経はその馬に乗り、「門を開けよ」と命じ、門を開けさせました。

 義経が、今か、今か、と待ち構えているところ、夜半頃、土佐坊に率いられた4、50騎が、総門の前に押し寄せて、ときの声を上げました。

 義経はあぶみにかけた足を踏ん張り、立ち上がりました。「夜討ちでも、昼のいくさでも、義経を簡単に討てる者は日本国にはいないぞ」と大音声を上げ、馬を駆けさせました。土佐坊の兵たちは馬に踏み飛ばされまいと思ったのでしょう、中を開けて義経を通しました。

 そのようにしているうちに、義経の臣下の伊勢義盛、佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などの一騎当千の強者たちが、義経の御所が夜討ちだと、それぞれの宿所、館から馳せ集まり、ほどなく、6、70騎になりました。土佐房は心は猛き者ですが、軍勢はどんどん討ち取られていき、かなわないと思ったのでしょう、かろうじて、鞍馬山の奥へ逃げました。しかし、鞍馬は、義経ゆかりの地なので、鞍馬の法師たちが土佐房を生け捕りにし、翌日、義経の元へ連れて行きました。土佐房は、僧正が谷という場所に隠れていたといいます。

 土佐房のその日の出で立ちは、「かち」の直垂に、黒い革で威した鎧を着て、首丁頭巾をかぶっていました。

 義経は、縁側に立ち、土佐房を大庭に引き出させました。義経が「どうした土佐房、起請は、早くも破られたぞ」と声を掛けると、土佐房は、「もっともです。心にないことを書きましたので」と答えました。義経は、涙をはらはらと流し、「主の命令を重んじ、わたくしの命を軽んずる志は、まことに神妙だ。命が惜しければ助けて鎌倉へ帰してやるが、どうする」と告げました。

 土佐房は、居住まいを正し、畏まって答えました。

「なんと義経殿は、口惜しいことを言うものかな。助けてくださいと頼めば、義経殿はお助けくださるのでしょうが、この身は法師なれど、頼朝殿から義経殿を討てと命じられてから、命は頼朝殿に捧げました。捧げた命を取り戻すことはいたしません。ただ、芳恩を被り、早く、首をはねてください」

 義経は、それならばと、すぐに六条河原へ引き立てて、首を切らせました。土佐房をほめない人はありませんでした。

(2012年2月13日)


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