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(373)大地震

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登場人物:後白河法皇

 平家が滅び、源氏の世になってから、国は国司に従い、荘園は領主の命令を聞くようになりました。身分の高い人も、低い人も安堵を覚えていました。その矢先の元暦2年(1185年)7月9日、午の刻ほどに、大地が、長い時間おびただしく揺れ動きました。畿内、白河のほとり、六勝寺、皆、崩れました。法勝寺の九重の塔も、上の六重が落ち、得長寿院の三十三間堂も、17まで崩壊しました。皇居をはじめ、在々所々の神社仏閣も、粗末な民家も皆、崩壊しました。建物が崩れる音は雷のごとく響き、舞い上がる塵は煙のようでした。空は暗くて光も見えず、老いも、若きも、魂を失い、朝廷に仕える人も、民衆も、皆、心を痛めました。

 また、遠国、近国でも同様でした。山が崩れて川を埋め、海が押し寄せて浜を浸しました。汀にこぐ船は波に揺られ、陸を行く馬は足を取られ、大地が裂けて水が湧き出て、岩がはがれ谷へ落ちました。洪水がみなぎり起きて、岡に登ってすら助からないほど。猛火が起こり、川を挟んでも火の勢いに耐えられなくなりました。鳥ではないので空を飛ぶこともできず、龍ではないので雲に登ることも難しいです。

 ただ、悲しかりしは大地震なり。

 白河、六波羅、都中で、埋もれて死んだ者は数えきれません。地水火風の四大種の中で、水火風雨は日頃から害を与えますが、大地も同じでした。今度こそ世が終わると、身分の高い者も、低い者も、引き戸やふすまを立て、天が鳴り、地が動くたびに、声々に念仏を唱え、わめき、さけびました。60、70、80、90の老者たちが「世が滅亡するなどとはいつも言われているが、さすがに昨日、今日のこととは思わなかった」と言うと、童たちがそれを聞き、泣き悲しむこと限りがありません。

 後白河法皇は、大地震が起きた時、新熊野神社に御幸し、花を供えていました。地震で死傷者が出て穢れに触れたので、急ぎ輿に乗り、六条殿へ戻りました。供奉の公卿・殿上人は、道すがら、どれほど心を砕いたでしょう。

 後白河法皇は南の庭に建てた仮屋に入っています。後鳥羽天皇は池のほとりに行幸しました。女院や宮々は、輿や車に乗り、他所へ行啓しました。天文博士が急ぎ内裏へ馳せ集まり、午後10時から12時の間ほどに、大地が必ず揺れ返すと告げると、恐れることも愚かなほどでした。

 昔、文徳天皇の時代、斉衡3年3月8日の大地震では、東大寺の大仏の頭が落ちたと言われています。天慶2年4月2日の大地震では、朱雀天皇が清涼殿を去り、常寧殿の前に5丈の小屋を建てて仮の寝殿にしたそうです。それは上代のことですが、その後は大地震はありませんでした。

 十善の帝王である安徳天皇が水底に沈み、大臣・公卿が捕らわれて、都に連れ戻され、首を切られ、大路を渡され、妻子に分かれて遠流となりました。平家の怨霊によって、世が失せたと言われ、心ある人は皆、嘆き、悲しみました。

(2012年2月13日)

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