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登場人物:後白河法皇、平宗盛、平清宗、兼雅、平親宗
後白河法皇は六条東洞院に車を出して、壇の浦で生け捕りにされた平家一門の都の引き回しを見ました。後白河法皇に供奉する公卿・殿上人の車も同じく、六条東洞院の前に並びました。しかし、あれほど、身近くに召し使っていた平家一門でしたので、後白河法皇も心弱く、今更ながら、哀れに思いました。「在りし日は、誰しもが、平家一門の目に触れ、言葉の一つもかけてもらえればと思っていたのに、今日、このように一門を見るとは、誰が思ったことだろう」と、身分の高い者も、低い者も、袖を濡らしました。
先年、平宗盛が内大臣になって、よろこび申しの儀を行う時は、公卿では、花山院中納言・兼雅をはじめとして12人が宗盛の車に追従して行列を作りました。蔵人頭の平親宗(時忠の弟)以下の殿上人16人が前後を固めました。中納言が4人、三位中将も3人いました。公卿も殿上人も、今日を晴れとばかりに着飾っていました。その時、平時忠が、御前に呼ばれ、散々にもてなしを受け、数々の引き出物を賜り、めでたい儀式でした。
今日は、都を引き回される平家一門の車には、公卿・殿上人が一人も付き従っていません。同じく、壇の浦で生け捕りにされた侍たち20人ばかりも皆、白い直垂を着け、馬の上に縛り付けられて、引き回されました。
平家一門は、六条通りを東へ、河原まで渡され、そこから折り返し、源義経の宿所である六条堀川の屋敷に入り、厳重に警護されました。
平宗盛は、食膳を出されましたが、胸がふさがり、はしを着けることもできませんでした。夜になっても装束を解くこともせず、片方の袖をの上に伏しました。しかし、息子の清宗に浄衣の袖をかけてやりました。それを見た警護の侍たちは、「ああ、身分の高い人も、低い人も、恩愛の道ほど悲しいものはない。浄衣をかけたからといって、さほど変わりがないものを。せめてかけてやりたいという志が深いのだなあ」と皆、鎧の袖を濡らしました。
(2012年2月10日)
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