本文へスキップ

ミニシアター通信平家物語 > (360)平知盛の最期

(360)平知盛の最期

参照回数:

登場人物:平知盛、伊賀家長、越中次郎兵衛、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、飛騨四郎兵衛経景

 平知盛は、「見るべき程の事をば見つ(見届けなければならないことは見届けた)、今はただ自害をせん」と、乳母の子の平内左衛門・伊賀家長を呼び、「日頃の約束を違えまいな」と告げると、家長は、「もちろん」と答え、平知盛と自身に鎧2領を着せました。知盛と家長は手を取り合って、一緒に、海に身を投げました。

 それを見て、周りで戦っていた20人あまりの侍が続いて入水しました。しかし、その中でも、越中次郎兵衛、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、飛騨四郎兵衛経景などは、どのようにしてか、戦場から逃れ、逃げ延びました。

 壇の浦の海上には、平家の赤旗、赤印が、切り捨てられ、かなぐり捨てられ、大和の国の紅葉の名所・竜田川の紅葉を嵐が吹き散らしたようです。汀に寄せる白波が薄紅に染まり、主を失った空船たちが、空しく潮に引かれ、風に押され、どこを目指すともなく、揺られていくことこそ悲しいことです。

 壇の浦の戦いで生け捕りになった者は以下の通り。

●一門
平宗盛
平時忠
平清宗
平信基(平信範の子)
平時実(平時忠の子)
平宗盛の8歳の息子
平尹明(まさあきら)

●僧
二位僧都全真
法勝寺執行能円
中納言律師忠快
阿闍梨融円

●侍
源季貞
摂津判官盛澄
藤内左衛門尉信康
橘内左衛門尉季康
阿波民部重能父子

 などの38人が生け捕りにされました。菊池次郎高直、原田種直は、戦いの前に甲を脱ぎ、弓の弦を外して投降していました。

 女房では、

女院(建礼門院・平徳子)
北の政所(摂政藤原基通の妻)
ろうの御方(清盛の女、母は常盤)
大納言佐殿(平重衡の妻)
帥佐殿(平時忠の妻)
治部卿局(平知盛の妻)

 以下の43人と言われました。

 時候は、元暦2年(1185年)の春の暮れ、安徳天皇は海底に沈み、百官は波の上に漂いました。国母建礼門院や官女たちは東国・西国の敵の手に落ち、臣下・卿相は数万の軍兵に捕らわれて都へ帰るにしても、出世して故郷に帰る時に錦を着た舜買臣とは違い、漢の武帝に仕えた女官で匈奴に嫁に出された王昭君が胡国に赴く悲しみも、これに過ぎるとは思われませんでした。

(2012年2月8日)


(361)三種の神器

(362)平家一門の大路渡し

(363)盛者必衰の理


平家物語のあらすじと登場人物




運営会社

株式会社ミニシアター通信

〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ) 



平家物語のあらすじと登場人物