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(359)平教経の最期

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 壇の浦の戦いの勝負が決しました。平家では、安徳天皇を抱いた二位の尼(平清盛妻、安徳天皇祖母)をはじめ、平教盛、平経盛、平資盛ら一門が次々に海に身を投げました。いっぽうで、平宗盛・清宗父子は見苦しい姿を見せ、海に飛び込むも、源氏に引き上げられました。

 平家で戦う中では、能登の守・平教経が奮戦し、平教経の矢先に立つ源氏はいなくなりました。教経は今日を最後と決めていたのでしょう、赤地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧、鍬の形の飾りをつけた甲、いかめしく造った太刀、24本さした切斑の矢、滋藤の弓という姿で、矢継ぎ早に散々にいて、多くの源氏を射殺しました。矢種が尽きると、黒塗の大太刀と、白柄の大長刀を左右に持ち、さんざんに源氏をなぎ倒して回りました。

 平知盛が、教経に使者を出して、「そう罪を作るな。それらは、よき敵か」と伝えました。教経は、「さては大将と組めということかな」と、太刀を短く持って、船のともえでさんざんに敵を薙ぎ払って戦いました。しかし、教経は、源義経を知らなかったので、いい鎧直垂を着けている武士に義経かと目星をつけて、飛び掛かっていました。

 いっぽうの義経も、前線で戦うようにはしていましたが、場所が違っていて、教経とは組みませんでした。

 しかし、どしたことでしょうか、教経が義経の船に行きあたりました。教経は、「あれか」と義経に目星をつけて、飛び掛かりました。義経はかなわないと思ったのでしょう、長刀を左脇に挟み、2丈(約6メートル)離れていた味方の船に飛び移りました。

 教経はすばしこさでは劣っていましたので、義経を追いませんでした。

 教経は、もはやこれまでと思ったのでしょうか、太刀・長刀を海へ投げ入れ、甲を海に捨てました。鎧の袖、草摺りもかなぐり捨て、胴だけを着け、髪の毛を振り乱し、大手を広げて、船の屋形に立ち現れて、大音声を上げました。

「源氏にわれと思わん者あらば、寄って教経と組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下り、頼朝にひと言、言いたいことがある。寄れや、寄れ」

 寄ってくる源氏は一人もいませんでしたが、ここに、安芸郡を知行する安芸大領実康の子で安芸太郎実光という、2、30人力の剛の者がいました。実光は自分に劣らない怪力の郎党を一人連れ、また、弟の次郎秀光も、人並み以上の強者でした。

「たとえ能登殿の心が剛でも、何ほどのことがあろうか。身の丈10丈の鬼だろうと、われら3人がとりつけば、組み伏せることができよう」

 そう示し合わせた3人が、小舟に乗り、教経の船に並べて乗り移り、太刀の切っ先を揃えて、一度に討って出ました。

 それを見た平教経は、まず、真っ先に進んできた安芸太郎の郎党と組み、海へ蹴り入れました。続いて、襲い掛かってくる安芸太郎を左脇に、弟・次郎を右脇に挟んで、息もつかず、「いざ、おのれら。死出の旅の供をせよ」と言って、生年26歳の身を海に投げました。

(2012年2月8日)


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