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(356)平時子の入水

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登場人物:平知盛、二位の尼殿(平時子)、安徳天皇

 四国・九州の兵が次々に源氏に寝返り、平家の船は、荒波と、源氏の攻撃にさらされ、平家の運命は、もはやこれまでと、源平の戦い、ここに極まりました。

 源氏の強者どもが、平家の船に乗り移ってきました。船頭・水夫は射殺され、あるいは、切り殺されて、船の方向を直すこともできません。平家の人々は皆、船底で倒れ伏していました。

 平知盛は、小舟に乗って、急ぎ、御所の御船に参りました。知盛は、「世の中は、今は、これまでと見えた。見苦しいものは皆、海へ捨て、船を掃き清めよ」と命じ、船は、掃いたり、拭ったり、塵を拾ったりしながら、先から尾まで清められました。

 女房たちが「ああ、知盛殿、いくさはどうですか」と問うと、知盛は「ただいま、珍しい東男(あづまおとこ)をご覧に入れましょう」と口にし、からからと笑いました。女房たちは「どうして、この機におよんで戯れを」と、声々に、わめき、さけびました。

 平清盛の妻、建礼門院・平徳子の母、そして、安徳天皇の祖母である二位の尼殿(平時子)は、日頃から覚悟を決めていたので、薄黒い喪服を2枚重ねに着て、ねり絹の長袴を短く着け、三種の神器の「神璽」(勾玉)を脇に抱え、「宝剣」(草なぎの剣)を腰にさし、安徳天皇を抱きました。

「われは女なれど、敵の手にはかかるまじ。安徳天皇のお供をする。御志を持つ人は、急ぎ続きたまえ」

 そう告げて、二位の尼殿は、しずしずと、船端へ歩み出ました。

 安徳天皇は今年、8歳。年よりもはるかに大人びて、姿は威厳に満ち、辺りを照らし輝くよう。髪の毛が多く、ふさふさとしていて、背中に懸かっていました。

 安徳天皇がひどく驚いた様子で、「尼前は、われをどこへ連れて行こうとするのだ」と尋ねました。

 二位の尼殿は、涙をはらはらと流し、幼い君に向かって、話して聞かせました。

「君はいまだ知らないのですが、前世の十善戒行の御力で今、万乗の帝王として生まれました。されども、悪縁に引かれ、御運すでに尽きました」

「まず、東へ向かって手を合わせ、伊勢神宮においとまを申してください。その後は、西へ手を合わせ、西方浄土の迎えがくるように、念仏してください」

「この国は、粟散辺土(そくさいへんど:粟のように小さい辺境の国、すなわち日本)と申し、もの憂いところです。あの波の下にこそ、極楽浄土という、めでたい都があります。そこへ、お連れして参ります」

 二位の尼殿がそうなぐさめると、萌黄色で黄色の強い山鳩色の天皇の御衣を身に着け、御づらを結った安徳天皇は、涙に溺れ、小さく、美しい手を合わせ、まず東へ向かい、伊勢神宮と正八幡宮にいとまをこい、その後、西へ向かって念仏しました。

 二位の尼殿は、すぐさま、安徳天皇を抱きました。

「波の底にも都がございますぞ」

 そう安徳天皇をなぐさめ、千尋の底へ沈みました。

 悲しきかな、無常の春の風。たちまちに花の姿を散らし、いたましきかな、分段の荒き波(六道に輪廻して果報を受ける生死)。安徳天皇の体は沈みました。

 和漢朗詠集に詠われたように、宮殿を「長生」と名づけ長き棲家とし、門を「不老」と号して、老いせぬ鬨と書かれましたが、いまだ10歳にもならずに、海の底の水屑(みくず)となりました。十善の帝王の果報はいうまでもありませんが、雲の上の龍が、ついに、海底の魚となった。宮城で大臣公卿に囲まれ、平家一門を従えた身は、今は、船の中から波の下へ落ち、御身をいっしゅんで滅ぼしたことこそ、悲しけれ。

(2012年2月8日)


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