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(354)壇の浦の戦い

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登場人物:山賀秀遠、源義経、和田義盛、仁井親清、三浦石左近太郎、後藤実基、浅利義成

 平家は1000艘を、3手に分けました。

 まず、兵藤次・山賀秀遠が500艘で先陣を漕ぎ出しました。松浦党300艘が二陣に続きます。一門の公達200艘が3陣。

 山賀秀遠は、九州一の強弓、精兵でした。秀遠は、自分ほどではないにしても精兵500人を選りすぐり、船々の舳先に配置し、肩を並べて、一斉に500の矢を放ちました。

 源氏方は3000艘あり、数こそ多いのですが、ばらばらの矢でしたので、どこに精兵がいるともわかりませんでした。

 源義経は真っ先に進んで戦いましたが、楯でも、鎧でも、飛んでくる矢を防ぎきれず、散々に打ち負かされました。

 平家は、味方が勝っているとばかりに、しきりに鼓を打ちながら、わめき、叫んで攻めてきます。

 源氏では、小太郎・和田義盛が、船には乗らず、馬に乗り、鐙の先端でふんばって馬の上で立ち、平家陣へ、さんざんに矢を放ちました。もとより精兵で、弓上手なので、3町(約330メートル)の内の者を、的を外さず、射てきました。

 中でも遠くまで飛んだと思える矢を指して、和田義盛は、「その矢を返したまえ」と、兆発しました。平知盛がその矢を抜かせ、確認すると、鶴の羽の焦がしも塗りもしていない白矢で、13束(そく:1束は拳1つ分)と3伏(ふせ:1伏は指1本分)の長さがあり、矢じりを指し込んで糸を巻く所から1束ばかり下に、「和田小次郎平義盛」と、漆で書きつけてありました。

 平家方にも精兵が多くいましたが、遠矢を射る者はいませんでした。ややあってから、伊予の国の住人の仁井紀四郎親清が、その矢を受け取り、射返しました。それも、3町あまり飛んで、和田義盛の後ろ1段(約11メートル)にいた三浦石左近太郎の左手の肘に、深く突き刺さりました。三浦の者どもが寄り集まり、「ああにくにくしい。和田小太郎が、われ程の精兵はいないと思い込んで、恥をかいたことのおかしさよ」と笑いました。

 義盛は、捨て置けないと、今度は小舟に乗って漕ぎ出しました。平家へ、さんざんに矢を放ち、多くの者を手負いにし、射殺しました。

 ややあってから、義経の船に、白矢の大矢が一筋、当たりました。和田義盛の矢と同じように、「その矢を射返したまえ」と平家が兆発してきました。義経が矢を抜くと、山鳥の尾をはいだ白矢で、14束3伏ありました。糸を巻いた所から1束おいて、「伊予の国の住人、仁井紀四郎親清」と漆で書かれていました。

 義経は、兵衛・後藤実基を呼び、「味方にこの矢を射るご仁は誰がいる」とただすと、実基は、「甲斐源氏の浅利与一義成殿こそ、精兵の手練れです」と告げました。義経は、「それなら与一を呼べ」と呼び出しました。

 義経が「いかに与一、この矢はただいま沖から射てきたが、射返したまえと招いている。貴殿が射たまえ」と告げると、浅利義成は、「お見せ下さい」と、矢を左手の指先にのせ、右の指で回して、曲がり具合や、強さを確認し、告げました。

「これは矢竹が弱いです。矢束も少し短い。同じ放つなら、義成の矢を放ちましょう」

 義成は、鷹の両翼の黒いほろ羽ではいだ15束3伏ある大きい矢を握りしめ、9尺ある(約2.7メートル、通常の弓は7尺5寸)塗り込めた滋藤の弓につがえ、よく引いて、ひょうと放ちました。この矢も4町あまりを飛び、大船の舳先に立っていた仁井親清に命中し、親清を船底にまっさかさまに落としました。よともり、浅利義成は、精兵の手練れで、2町(約220メートル)の中を走る鹿を外さず、強弓の者と言われていました。

 その後は、源平の強者どもは、互いに面も振らず、命を惜しまず、戦いました。

(2012年2月8日)


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