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(346)屋島の戦い

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登場人物:源義経、平宗盛、田代信綱、金子家忠、与一親範、伊勢義盛、後藤実基、後藤基清、佐藤嗣信、佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶、平教経、越中盛嗣

 屋島では、平家からの召集に応じない伊予の河野通信を、阿波民部重能の嫡子の田内左衛門教能が3000騎で攻め、河野通信は打ち漏らしましたが、家の子・郎党の首150を、内裏へ送ってきていました。平宗盛の「内裏で、賊の首検分をするのはよろしくない」との仰せで、宗盛の宿所で首検分をしていました。そこに、「高松の民家から火がでました」とあわただしく報告が入り、さわぎになりました。「昼なので、失火ではないだろう。どう考えても、敵が寄せてきたのだ。定めて大軍に違いない。囲まれてはかなわない。早く、船に乗れ」と、外構えの総門の前に汀に止めていた船たちに、われ先にと、逃げ乗りました。

 御所の船には、建礼門院、関白の北の方、二位の尼殿以下の女房が乗り込みました。平宗盛父子は、同じ船に乗りました。そのほかの人々は、思い、思いの船に乗り、ある船は1町(110メートル)ほど、別の船は5(約55メートル)、6段、7、8段(約88メートル)と岸から離れました。そこに、甲に鎧の源氏兵7、80騎ばかりが、総門の前の汀に押し寄せました。干潟で、潮が引いた折でしたので、馬の後足の外に向いた関節や、馬の胸にかけた組緒、下腹までしか水に浸からずに立つ場所もあり、そこよりも浅い所もありました。蹴上げられる水しぶきの霞といっしょに、源氏の白旗があがると、平家は運が尽き、大軍に見えました。

 また、義経は敵に小勢と見せまいと、5、6騎、7、8騎、10騎ほどで、群れをなして、軍勢を出していました。義経のその日の装束は、赤地の錦の直垂に、紫糸で上から下へ次第に濃い糸で威した鎧、鍬の形の飾りをつけた甲、黄金で飾った太刀、24本指した切斑の矢を背負い、滋藤の弓を真ん中を持ち、沖をにらみ、大音声を上げ、「後白河法皇の使者、検非違使五位尉、源義経」と名乗りました。

 続いて、伊豆の国の住人の冠者・田代信綱、武蔵の国の住人の十郎・金子家忠、同じき与一親範、三郎・伊勢義盛が名乗りました。それから、兵衛・後藤実基、子息の新兵衛尉・後藤基清、奥州の三郎兵衛・佐藤嗣信、弟の四郎・佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などという一騎当千の強者どもが、声々に名乗って、馳せ参じました。平家方では、それを見て、「あれ射取れや、射取れ」と、遠矢や、矢次ぎ早に、船から射てきました。しかし、源氏兵はそれをものともせず、左方、右方に、矢を射ながら駆け巡りました。岸へ引き上げておいた船を、馬休めの場所にしながら、わめきさけんで戦いました。

 源氏方の中でも、兵衛・後藤実基は、古強者でしたので、浜での戦いはせずに、まず内裏へなだれ込み、次々と火を放ち、内裏を片時の煙に焼きました。

 船に退却した平宗盛は、侍どもに、「源氏の兵はどのくらいだ」と問うと、「7、80騎を越えることはないでしょう」との答え。

 宗盛は、「ああ、いまいましい。源氏の兵の髪の毛の一本、一本を分けて足しても、わが方の勢力には足らなかったものを。包囲して討ち取ることなく、船に乗り、内裏を焼かせたことこそ、悔しい」と悔しがり、「能登殿(能登の守・平教経)はおわさぬか。陸に上がって、ひといくさしたまえ」と、平教経へ告げました。

 教経は「承って候」と、次郎兵衛・越中盛嗣を先方として、500騎で小舟に乗り、焼き払われた総門の前の海に、陣を敷きました。義経の80騎も、陸から矢を射るのに適当な距離をとって、構えました。

 平家方から、越中盛嗣が船の屋形に進み出て、大音声を上げました。

「そもそもすでに名乗っているとは聞いているが、海上はるかに隔てているので、その呼び名・実名ともにわからない。今日の源氏の大将軍は、誰ぞ。名乗りたまえ」

 伊勢義盛が進み出ました。

「なんと、愚かな。清和天皇10代の後胤、鎌倉殿・源頼朝殿の弟、大夫判官・源義経殿だ」

 盛嗣はそれを聞き、返しました。

「そうか。去る平治の乱で父を討たれて、孤児になったのが、鞍馬寺で稚児をし、のちには、奥州の黄金商人の下僕となり、食料を背負って、奥州へ下った、あの小冠者めか」

 伊勢義盛が船に歩み寄り、言い返しました。

「舌のやわらかいままに、義経殿のことを好き勝手に言うな。そういうお前こそ、北国の砥浪山のいくさに打ち負け、命からがら生き延びて、伊勢の国の鈴鹿山で山賊をして妻子を養い、わが身も、下僕も、食いつないだと聞いているぞ」

 義盛がそう毒舌をかますと、同じ源氏方から、武蔵の国の住人の十郎・金子家忠が進み出て、さけびました。

「甲斐もない殿ばらの雑言かな。敵も味方も、そらごとを言い、誰が誰に劣るなど、きりがない。去年の春、摂津の国の一の谷で、武蔵・相模の若武者の手並みは見知っているだろう」

 すると、そばにいた、家忠の弟の与一親範が、家忠が言い終わらないうちに、十二束(そく、拳12個分)と三伏(ぶせ、指3本分)の長さ弓に矢をつがえ、十分に引いて、放ちました。矢は、越中盛嗣の鎧の胸板の裏まで通って、刺さりました。それで、互いの言葉合戦はやみました。

(2012年2月6日)


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